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2024/08/18

ムスティカラサ/Mustikarasa

ムスティカラサ

ムスティカラサ/Mustikarasaという本があります。
時の大統領の指示により1967年に出された、インドネシアの端から端まで、各地の料理を集めた壮大なレシピ集。
その後、2016年に再版され(わたしもその時に買いました↑)、今年に入ってまた注目されています。
インドネシアの食文化を見直すことを目的とした、Mustika Rasa Kini(現代のムスティカラサ)という活動や、この本のレシピに基づいた料理を出すレストランなども。

わたしはずっと、単純に、料理を通じての国家統一や、ナショナリズムを高めるためのものだと思っていたのですが、もっと切実に、食糧問題に対応するための政策という意図を持って編纂されたものだったのだと知りました。
というはなしを、今回は。
どこかに旅したとか何を食べたとか、そういうのじゃなくて堅苦しい内容なので、ちょっとうちの猫を添えて。

ムスティカラサ

トータルで1200ページ以上の厚さで、収められたレシピの数は1700ほど。
各地の郷土料理のほか、中国や西洋の料理も含み、レシピ以外にも素材の知識や栄養学的面からの解説もあります。

インドネシアの初代大統領スカルノが指示を出し、その妻のハルティニの監修のもと、1961年から始動したプロジェクト。
メールもファックスもなかった時代、彼らは全国の役所や婦人会などの組織に手紙を送りレシピを募りました。
寄せられたレシピは女性達が実際に試し、その作業や味の確認作業を行い、レシピのみではなく、栄養知識を共有し、献立の組み方も提案するものとして、プロジェクトは進みます。

ムスティカラサ

ムスティカラサ

一大プロジェクトの背景にあったのは、当時の食糧難でした。
インドネシア独立(1945)前と比べて、1965年には米の収穫量は倍に増えていたと言いますが、にもかかわらず、人口も倍に増え、一人当たりの米の消費量も増え、国が政策として農業支援を進めても、いつまでたっても国民の腹は満たされなかったのだと言います。

長きにわたるオランダによる植民地支配、第二次大戦中の日本軍支配を経て1945年に独立を成し遂げた初代大統領は、食糧(=米)自給も国家独立の一つの重要な要素と捉え、国を挙げて取り組んでは来たものの、米の価格の上昇は止まらず、国民の不満も募るなか、軍によるクーデター930事件が1965年に起こり、その後1967年には正式に退陣を余儀なくされます。
そんな、スカルノの政権末期のプロジェクトであったムスティカラサは、彼の失脚と前後する1967年に(やや急足で)出版されることになったのです。

ムスティカラサ

この本の本旨とは、全国各地の地場の素材を用いた食文化を復興/訴求することで、
元来米食ではなかった地域では、米以外のローカルな食材の見直しを進め、米不足を解消しようとするもの。
なので、レシピには、東ヌサトゥンガラ地方で食べられていたトウモロコシ粥、ジャグン・ボセ/Jagung Boseや、インドネシア東部を中心に食べられていたサゴ澱粉の粥、パペダ/Papedaなども掲載されています。

ムスティカラサ

材料別のインデックスで主食の欄を見ると、米を材料とするものが圧倒的に多いのは事実なのですが、その次にトウモロコシを持ってきています(その後、小麦粉、そして芋類)。

ムスティカラサ

主食に限らず、その土地の人々が本来ずっと活用してきていた、そこで採れる食材を使い、美味しくて体によい食事を作れるように、という、地場の食材を見直すことも期待していました。
食生活の原点回帰を促すとも言える、食糧政策としての国を挙げてのレシピ本の編纂。

そこに至る、インドネシアの、というかインドネシアという国ができるより以前からの、人と食の推移を、ここしばらく本で読んで勉強していました。

Ahmad Arifの3冊

インドネシアになる以前のこの島々のことを、なんと呼ぶのがいいか。それははもう「ヌサンタラ」なんですけど、なんか、新首都が「ヌサンタラ」になっちゃったもんで、使いにくいですね。でも、とりあえず、ヌサンタラで行きます。

この先は、自分の備忘録的メモでもあるので、だらだらと続きます。あと、まだ理解の途中なので、後から「あ違うわ」となることもあるかもしれません(だいたい、なんでも「あーなんかわかった」と思ったことは、あとから「わかってなかった」と気づくものですし)。ご了承ください。


まず、ヌサンタラへの人類の移動の段階。
①第一次アウト・オブ・アフリカ:ヌサンタラ着は50,000年前ほど
②第二次アウト・オブ・アフリカ:11,000年前
③第一次アウト・オブ・台湾(オーストロネシア系):4〜5,000年前
④第二次アウト・オブ・台湾:2,000年前
⑤インド・アラブ系移民(ヌサンタラ西部):2,000〜2,500年前

で、これらの人々の定住と食生活の変移は、
①と②の人々は狩猟採集生活を営み、ヌサンタラ各地に広がって行った。当時は、氷河期であったため海水位が低く、ヌサンタラ西側は半島と一体であったりして、移動もしやすかった。
のちに人口の増加などの要因を受けて、農耕へ移行して行く。地球の気温上昇により、草原が森になるなどして、猟がし難くなったからという仮説もあり、面白い。

狩猟採集の生活を送る人々は、現在のインドネシアにもまだいる。パプアのセンタニ湖周辺の人々は、サゴ椰子の澱粉を収集し、湖の魚を捕り、日々の食糧としている。

農へ移行した最初の形跡はパプアで、インドネシア領パプアのバリエム渓谷(人類が定住したのは27,000年前と言われる)では、タロイモ栽培+灌漑整備の形跡は7,000年ほど前まで遡れる。現在は隣国となるが、パプアニューギニア領の地域では、10,000年前にタロイモ栽培の形成が見られ、バナナは6950年前から栽培されているとされる。

③の初期オーストロネシア系移民がイネを持ち込んだ。
彼らは農耕民で、ここでのイネは陸稲。彼らが、カリマンタン等の狩猟採集民と交わった形跡もあるそう。初期農業は焼畑農業。一定の森林を焼き、農地として開墾し、数年ごとに移動していくというシステム。
現在も、カリマンタン内陸のダヤック人は陸稲を用いた焼畑農業をおこなっている。

④と⑤は水稲を持ち込んだ。
おそらく④が先行したようだが、ヌサンタラの特に西部に強くインパクトを持ったのは、⑤のインド水稲。
まずはジャワに伝搬し、一気に拡大定着、スマトラやカリマンタン南部、バリへと伝搬していく(スマトラ北部のアチェや、西部のパダンあたりには、インドからの直接的影響も見られる)。
その後、ヌサンタラ各地で繁栄した王朝を中心に水稲栽培は浸透していった。現ジョグジャカルタ付近を中心とした古マタラム(732〜1045)王朝の遺跡や、シャイレンドラ(760〜850)王朝が建立したボロブドゥール寺院のレリーフなどに、水稲栽培の様子が見られる。
その後、18世紀には、ジャワの低地などは米食が主流となっていた。

Ahmad Arifの3冊

それ以外の地域の主食は、というと、東インドネシアで現在も食べられているサゴ椰子の澱粉。これは、かつてはヌサンタラ各地で食べられていた。
カリマンタンのプナンが食するサゴや、西ジャワの内陸の民が食するサゴは、パプアなどのサゴと木は違うが、椰子科の植物の幹から採取した澱粉であることは同じ。

また、バナナの他、芋類は、最も古いタロイモの他、16世紀にポルトガル、もしくはスペインによって持ち込まれたサツマイモ、そして1892年にオランダが持ち込んだキャッサバなどが主食として広く食されていた。

トウモロコシは東ヌサトゥンガラ州などで今もよく食されているが、サツマイモ同様に16世紀にポルトガル/スペインによって持ち込まれ、定着した。

キビの仲間であるソルガムもよく食べられていた。ヌサンタラに伝搬したのは米よりだいぶ以前である可能性が高く、乾燥地でも手をかけずともよく育つので、各地で栽培された。ただ、主要作物として表に出ることは稀であったため、米の浸透と共に忘れ去れられた感がある(近年、食糧危機に対応する植物として意識され始めてはいる)。

で、それらを踏まえ、このヌサンタラにおける、その後スカルノも頭を悩ます事になる、続く政権でさらに悪化し、いま現在も解決されていない、米化の流れです。

うちの猫で一息いれとく?

ねこ

そもそも、ヌサンタラの人々は、それぞれの土地でそれぞれの植生に合わせた食生活を送っていた。
オランダによる植民地化。強制栽培を目的とした農地のとり上げ、地主小作システムの確立。
主に、ジャワとスマトラを中心として行われた。彼らは、稲作を行う農地を失うと共に、手のかかる稲作に割く労力がなく、この期間は米の消費は減少する。代わりに、乾燥地などで手をかけずとも育ちやすいサツマイモ、キャッサバ、トウモロコシなどが代替主食となる。
インドネシア独立(1945年)
国家の独立=食糧(=米)自給を目指し、米の生産量を倍増させたが、人口も倍増。また、一人当たりの消費量も増え、米の充足は達成されない。
植民地時代に米を取り上げられた地域の人々が独立後の国策に中心となったため、食糧=米、とにかく米、米、米を、という米バイアスが拭えなくなったのではないか、というのは個人の感想(でもそうだと思う)。
従来食の見直し。乾燥地帯の活用も視野に入れ、トウモロコシなどの栽培も推奨。食の意識改革を目指して、ムスティカラサの編纂を指示(1961)。
米の値段上昇を抑えられず、初代大統領スカルノ失脚(1967)。かろうじて出版されたムスティカラサだが、国策に反映されることはなく、時期大統領として、スハルト就任。
農村出身のスハルトは「緑の改革」を掲げ、食糧=米の自給を目指す。多様であった在来種を一掃し、品種改良された指定品種+化学肥料+農薬を使った水稲栽培を推奨。他の作物の栽培農地も水田にするよう指示。
そもそも、焼畑による陸稲栽培は在来種の多様性を維持するに向いていたが、水田による水稲栽培はモノカルチャーの走りとも言えるシステムであり、それがさらに指定品種に制限されてしまったことで、米の多様性が失われた。以前は8,000前後あったとされる在来品種も、その多くが失われてしまったと言う。
また、指定品種の種、化学肥料、農薬、などの購入が必要となるため、稲作はお金のかかるものとなる。それが、地主小作の格差拡大を助長したとも考えられる。
経済的自立を求めて外資の参入に非積極的だったスカルノから、外資と協力関係を結ぶスハルトへ移行した結果、大規模な環境破壊が進む。
一例として、カリマンタン。森林の木材を伐採し、日本の商社へ売却。伐採された森は、放置されるか、パーム椰子など商品作物のプランテーションとして使われる。
移動型の狩猟採集民として暮らしていた土地の人々にとっては、生活の場であった森が失われることになる。食の自給が絶たれ、貧困者枠へ入れられ、従来は米食ではなかった彼らに、支援として米を送られるようになる。
定住化を余儀なくされた人々は、商品作物の栽培を行い、それを売ったお金で米を買うようになる。
各地で同様のことが起こる。
政府=ジャワなので、食糧=米なのは変わらず、支援は常に米。
受給側にとっては「国から与えられるもの」「お金を出して買うもの」である米は、従来の食を支えた「採れるもの」より上位のものというイメージがついていく。
結果、特に若い世代から、従来食よりも米食を求める傾向が強くなり、米依存となっていく。
1954年には米を主食とする人は、全国民の53.5%であったが、1981年には81%にまで上昇している。
しかし、従来米食でなかった地域というのは、米栽培に不向きな土地である場合が多い。このため、従来食を捨て米食へ移行するというのは、必然的に地域での食糧自給が低下することになり、購入するか、国から支給される米に依存することになる。
スハルト失脚後も米化の流れは止まらず。
外部からの米、政府支援の米に依存する貧困地域に明確な策はなく、米による食の植民地化とも言われる。
一例として、東スンバの内陸の村。1970年代までは、米(水稲+陸稲)、トウモロコシ、ソルガム、豆などを栽培し、食を賄えていたが、2016年時点で消費は米中心となり、地域の米総消費量125.5トンのうち、収穫で賄えるのはわずが32.5%のみであり、あとは外部に依存するしかないと言う。
地域支援としてのインフラ整備が進むことで、農業従事における労働力が流出する。加えて、消費作物に代わって換金作物を栽培するようになり、収穫物は自分達が食べるのではなく、町へ出て売るものになる。売ったお金で米を買う。
近年、米食は低下傾向。代わりに小麦の消費量が上昇。ただし、小麦は100%輸入のため、自給率はさらに低下することになる。
小麦=インスタント麺
2024年は400万トンの米を輸入すると予測され、これは過去最大の数値。

で、この状況をどうにか見直そうという流れが、冒頭の「現代のムスティカラサ」のムーブメントなのです。

ムスティカラサ

たぶん、こういう流れ、わかっている人はきっとちゃんとわかっていたんだと思うんですがわたしあんまり気づいていなかったんですよね。
パプアで、あんなに美味しいパペダを前にして、子供たちは米を食べたがると聞いて、あんなに豊かにあるサゴ椰子の澱粉より、みんな今は米志向だと聞いて、ようやく「え」となりました。
パペダよりご飯が上なのだろうか?と。

確かに、米は美味しいんです。わたしも日本人なのでそれは認めます。その米のおいしさが中毒性を持つのも確かです。そして、美味しいは、割と全てに優先されるのも事実だと思うので、もうどうしようもないのかな、とも思うのですが。

でも、例えばGI値を比べると、ご飯は80ですが、サゴは40です。
ご飯の方が、サゴより燃焼されやすいので、すぐにお腹がすいてしまうんですね。
加えて、これはメンタワイ島でのデータですが、1時間彼らが働いて得られる収穫としては、サゴは2.6キロなのに対して、米は0.6キロなんです。効率が非常に悪い。
作業効率が悪く、燃費も悪く、かつ自給できないので外部に頼らざるを得ない、そんな米なのに。
というジレンマを感じてしまったのでした。

ムスティカラサ

なので、この一式を調べて、結構満足しました。
それを知って、じゃあ今から何かできるのかといえば、できることはほとんどないでしょうが、それでも、知っているから気付けることっていうのはあるわけですしね。
長々お付き合いありがとうございました。

次はコメの地へ、という計画に変更はありません。


2024/07/10

パプアの食卓②:芋食

蒸しサツマイモ Baliem_Papua, 2024
 
芋の話をしよう。

パプアの、特に山のパプアでは芋が主食です。
たくさん芋を栽培し、たくさんたくさん芋を食べます。

芋主食の地域というのはパプアに限ったものではなく、例えば、太平洋の島々にも多く見られる食文化です。
ハワイの先住民たちもタロイモを主食にしていたと言いますしね。
ジャワやスマトラなどのインドネシア西部は、中国やインド、アラブなどの影響を強く感じますが、
パプアに来ると、この先の東方に広がる太平洋の島々の文化圏にいるんだなと感じます。
(地域分類としては、パプアはメラネシアに入ります)

庭先のタロイモ Baliem_Papua, 2024

山のパプアで最初に栽培され始めた芋も、タロイモだと言われています。6,000年前と推定されるとか。
タロイモはパプアではケラディ/Keladi、インドネシア語だとタラス/Talasと呼ばれます。
日本の里芋もタロイモの仲間ですし、タロイモはアジアで広くよく食されていますね。
ちなみに、カリマンタンのポンティアナク/Pontianakの細切りタラスを揚げたお菓子は、わたしの大好物です。

パプアの高地、現在もタロイモ栽培は見られますが、圧倒的主流はサツマイモです。

収穫されたサツマイモ Baliem_Papua, 2024

パプアでサツマイモが栽培され始めたのは300年ほど前ではないかと言われています。
タロイモと比べたら、圧倒的にニューカマー。
ですが、土地に合ったのでしょう、現在このバリエム渓谷には39種類のサツマイモがあるのだとか。
ワメナの市場にはゴロゴロとサツマイモが並び、タロイモは負け気味。
むしろ、サツマイモよりさらに新しく入ってきたキャッサバの方がタロイモより多いかも?というくらい。

市場のサツマイモ Wamena_Papua, 2024

市場のキャッサバ芋 Wamena_Papua, 2024

キャッサバはどんな土地でもよく育つ心強い芋なので、浸透が早いのも納得です。

バリエム渓谷 Baliem_Papua, 2024

バリエム渓谷は高地に広がる盆地。
耕作に適した土壌であることからあちこちに畑がみられます。
とにかく芋作。そしてその隙間に他の葉野菜などを植えています。

タロイモ畑 Baliem_Papua, 2024

サツマイモ畑 Baliem_Papua, 2024

盛り土をして周辺に水路を切る形態が多く見られました。
サツマイモは水はけを好むので、こういう形になったのだと思われます。

みんな、ここの土はとても肥沃だから、肥料などをあげずともなんでも良く育つのだといいます。
「肥料がいらない」をとても強調するのです。
これは、サツマイモは過剰に追肥された畑ではむしろ育ちにくいという話とも一致します。

畑 Baliem_Papua, 2024

この畑は、サツマイモとタロイモを混在させ、周辺に葉野菜、バナナ、タコの木の一種などを植えています。
番犬もいる、いい畑だなあと思います。

が、この地域の人たちは、こういう盆地の畑より、山の斜面の畑の方がいいのだと言います。
耕作は大変ですが、斜面の方が水がたまらないので、芋の味が良くなるのだそう。

バリエム渓谷山側 Baliem_Papua, 2024

この景色も、実は、手前や向こうの斜面が開墾されているんです。
山の畑は盆地のように水路を切ったりはしないので、遠目だと草原とあまり区別がつきませんね。

山の畑 Baliem_Papua, 2024

家の周りを広く開墾していました。わしゃわしゃ見えるのはサトウキビ。
サトウキビもこの地域でたくさん栽培されています。砂糖に精製するのではなく、そのまま齧ります。

山側では、家屋の周辺の耕地以外に、斜面を焼畑で開墾することも多いそう。
3〜4年で移動するという話しでしたが、訪れた集落の持つ畑は既に9年目だと言われました。

農地を焼く煙 Baliem_Papua, 2024

山のパプアでサツマイモは、人々の日々の食事だけではなく、彼らの大事な財産である豚の食糧にもなります。
人と同じものを与え、しっかり太らせることで豚の価値は上がっていくのです。

サツマイモ収穫 Baliem_Papua, 2024

このおじいさんのサツマイモ。すごく大きくて立派でした。
「大きいねえ!」と感心していたら、その場で小さく切り分け、豚小屋にいる豚に全部あげてしまいました。

芋を大きく育てる手法というのは、インドネシア政府の農業指導のようです。
地を這って広がっていくサツマイモの茎を、高く引き上げてあげることで脇芽から芋ができることを防ぎ、
結果、地中の芋にしっかり栄養がいって大きく育つのだそう。

引き上げられたサツマイモの茎 Baliem_Papua, 2024

おじいさんの畑も、そのやり方に従っていました。
うちの庭のサツマイモは地を這いっぱなしにしているので、ちょっとやり方変えてみようと思います。
ちなみに、サツマイモの葉も、彼らの食卓に頻出する野菜です。

サツマイモのない暮らしなんて考えられないというほど、人々の暮らしに浸透しているサツマイモ。
サツマイモの原産地は南米です(ペルー説とメキシコ説があるようです)。
南米からスペイン人の手によって、ヨーロッパ、アフリカ、アジア各地へと運ばれ、
それが東南アジア島嶼部に至り、時間をかけてパプアの高地にも届いたというのが定説です。

斜面の農地と家 Baliem_Papua, 2024

ですが、それよりずっと以前に、
太平洋の人々によってパプアにサツマイモがもたらされていたのではないか、という説があるんです。

秀でた航海術を乗っていたポリネシアの人々が、コロンブス到達より以前から南米と交易し、
まずはマルケサス諸島にサツマイモが入り、それが数百年をかけてハワイやイースターなど、
マルケサスより西方の島々に伝わっていったルートがあると言われています。
現時点では、そのルートがパプアを含むメラネシアに達していたという確証はないのですが、
ポリネシア人たちが文字を持たない人々であったために記録がないのであって、可能性はあるのではないか、と。

あくまでまだ仮説ですが、夢がありますよね。太平洋を渡ってやってきたサツマイモ。

茹でサツマイモ Baliem_Papua, 2024

パプアのサツマイモ、とても美味しいのです。
ジャワなどから輸入されてきたグレードの低い米よりも、ずっとずっと幸福になる味でした。

ということで、次回は、この山のパプアの伝統的な調理方法(含む芋)について。

2024/07/09

パプアの食卓①

石焼調理 Wamena_Papua, 2024

パプアに行ってきました。
インドネシア国内旅として最遠を更新。
ほぼ東の端っこ、ジャヤプラ/Jayapuraという街と、内陸のバリエム/Baliem渓谷という高地を訪れました。

青:ジャカルタ 赤:バリエム渓谷(内陸)とジャヤプラ(沿岸)

パプアというのは、インドネシア東端にあるニューギニア島の西半分を指します。
東半分はパプア・ニューギニアという別の国ですね。
インドネシア側の西半分だけで、日本の国土とほぼ同じだけの面積があり、
首都のジャカルタからジャヤプラは直線距離で約3,780km、
ジャヤプラからバリエム渓谷のワメナ/Wamenaという町まで直線距離で約250kmです。

島の北岸にあるジャヤプラに対し、3〜4,000m級の山々に囲まれたバリエム渓谷は標高2,000m前後の高地。
低地沿岸部の街ジャヤプラから飛行機で飛び立ち、
人の気配が感じられない、見渡す限りの緑の絨毯のような森と蛇行する川を見下ろしながら飛んで行くと、
突然高い山々が現れ、同時に道や集落が見え始めます。

Papua, 2024

Papua, 2024

Papua, 2024

このニューギニア島の高地、世界の農耕起源地のひとつだと言われています。
読んだ本(→)によると、1万年前には人為的な森林開墾が始まったと考えられているのだとか。
本の中で示されているのは、パプア・ニューギニアの西部高地の事例ですが、
インドネシア側のパプア高地でもそれは大きく違わないと思われます。
バナナやタロはこの地域から栽培が始まった可能性があるのだそうです。

Wamena_Papua, 2024

高地パプアには雨季や乾季というものがなく、通年適度に雨が降り、晴れれば赤道直下の太陽が降り注ぎます。
また斜面を利用した農耕地は水はけもよく、農業向きの環境です。

それは今でも変わらず、ワメナの町を上空から見ると開墾された畑が広がり、町の市場にはみずみずしい野菜が並びます。

市場 Wamena_Papua, 2024

市場 Wamena_Papua, 2024

市場 Wamena_Papua, 2024

葉野菜や芋類が豊富。

パプアは芋食地域なのです。
現在はジャワなど国内の他の地域から米を輸入していますし、米食が増えてきてはいますが、
それでも高地の民の多くは今でも芋を育て、それを主食としています(詳しくは次回に)。

低地のジャヤプラでも、市場にはいろんな種類の芋が並びます。

市場 Jayapura_Papua, 2024

ふらっと入った食堂でお米の代わりに芋が選べたり、
ホテルの朝食ビュッフェにも茹でた芋がるあたり、異文化だなあとしみじみ。

ご飯の代わりの芋 Jayapura_Papua, 2024

ご飯の代わりの芋 Jayapura_Papua, 2024

ただ、沿岸部というのは、国内で移住してきた人たちもたくさん暮らしています。
ジャワはもちろん、スラウェシ南部のマカッサル、北部のマナド、そして東ヌサトゥンガラ地域からの移住者も多いとか。
そういった、他地域の人たちの食文化も混ざっているのが沿岸の街の特徴でもあり、
やはり米食が主流になってきてはいるのでしょうけどね。

そして、パプアの低地の人々は、サゴ澱粉も主食として多用しています。
サゴについては、以前バンガイ諸島の記事でも書いていますが、パプアが原産と言われている植物の澱粉です。
ジャヤプラから3時間ほど移動した森の村を訪れた際に、またサゴの採取など見せてもらってきました。

サゴ澱粉採取 Jayapura_Papua, 2024

一方、おかず。
山のパプアも森のパプアも、育ている芋類の葉や森に生えているシダの葉など、葉野菜をたくさん食べます。
タンパク質はというと、沿岸に近い人々は海の魚も川の魚も豊富に捕れ、
森や果樹を植えている畑に入れば、ジネズミの仲間などを捕まえてくることもできます。
また、移住してきたイスラム教徒の影響もあるのでしょうが、豚や鶏だけでなく牛なども食用されています。

市場に並んだ鰹の燻製 Jayapura_Papua, 2024

それに対して、高地の人々の場合、基本的に家畜は豚のみ。
ワメナの市場で鶏肉は、空輸されてくる冷凍食材でした。当然、卵も。
今は池で鯉などを養殖して食用にしていますが、少し前までは魚は選択肢になく、
特別な時に食べる豚以外は、森へ狩りに出て捕まえてきた鳥やクスクスなどだけだったそう。

家畜の豚 Wamena_Papua, 2024

とにかく、色々ちがいます。
そもそも、普段のわたしたちの生活とちがっているのに加えて、
山々に隔たれ、少し前までは陸路での行き来が非常に困難であった沿岸部と内陸高地です。
そりゃ、ひとくくりにはできないよね、という印象。

パペダ Jayapura_Papua, 2024

なので、これからしばらく、パプアの食卓について、見て聞いてしてきたことを、徒然に。
おつきあいください。



2017/08/18

バンガイ諸島の食卓⑥

サランガル Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

島の食卓の、主食のお話を少し。

今でこそ、基本の主食は白米となっていますが、バンガイ諸島は元々稲作の難しい土地です。
一番大きい島の内陸に、ごくごくわずかな面積の水田を目にしましたが、到底地域を賄えるものではなく、
基本的に、米は地域外からの「輸入」となっています。

で、米食が一般化する以前のバンガイ地域のひとたちの主食はなんだったのか。
答えは「芋」なんですね。

ウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

現代の食卓においても、芋はとても大事な存在。

キャッサバ、タロなども並ぶ市場ですが、その中で抜群の存在感を見せていたのがこの大きなずんぐりした芋。
ウビ・バンガイ/Ubi Banggaiと呼ばれる芋です。
バンガイ諸島でしか目にしない品種らしく、遠くマルク地方まで出荷されたりするのだそうです。

ウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

丸みがあって、キャッサバやタロよりずっとなめらかな肌をした芋。

町のお母さんに、主食としてのウビ・バンガイ料理、サランガル/Salanggarを作ってもらいました。

ウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

シャリシャリと外皮をむくと、真っ白で少しぬめりのある身が。
生で齧ってみたところ、ぬめりとシャキシャキした歯ごたえは長芋にも少し似た感じです。

皮を剥いたら、大きめに切り分けます。

ウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

やっぱりまな板は使いません。というか、そもそもないんですけどね。

ウビ・バンガイとロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

で、この日は、ウビ・バンガイと一緒に、ロカ・パウ/Loka Pauと呼ばれる青バナナも入れてくれました。

ロカ・パウもバンガイ地域特有の品種なのだそうで、青い状態で市場に並んでいました。
以前、バナナの話しでも書きましたが、とにかく、バナナの種類が多すぎるんです。
そして、みんな、バナナのことに細かすぎる(笑)。
あのバナナはどうだ、このバナナなはこうだ、それぞれ一家言持っているんですよ。
わたしにしたら「みんなだいたい同じ感じのバナナ!」なんですけどね。

ロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

とは言え、バナナチップス以外で、青バナナを調理するところをみたことがなかったので、いい機会でした。

ロカ/Lokaとは、バンガイの言葉でバナナという意味なんだそうです。
加熱した青いロカ・パオは微かにバナナらしい酸味をもちつつ、確かに芋に似た存在になります。

ロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

ということで、あとでおやつにする分も含めて2房買って来たのでした。

これもしっかりと皮を剥いて、食べやすい大きさに切ります。

ロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

続いて、ココナッツミルクを準備。
たっぷり使います。

ココナッツミルク Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

熟れたココナッツの白い果肉を削り、そこに水を加えてよく揉み出したものがココナッツミルクです。

これを、さきほどのウビ・バンガイとロカ・パオに加え、砂糖適量と塩少々で煮込みます。

サランガル Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

ぶくぶく煮えてきて、アクが出てきますが、ええ、ここでもアクはとらずにそのままです。

サランガル Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

柔らかく煮える頃には、ブクブクしていたアクもどこかに消えて。というか、同化して。

サランガル Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

煮上がったウビ・バンガイは親芋のような感じ。
ココナッツミルクが程よく味に深みを出していて、美味しいです。
これに、魚のスープなどをかけていただきます。

村のお母さんは、サランガルではなく、単に塩水で煮たウビ・バンガイを出してくれました。

茹でウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

これも、美味しいです。飽きがこない、いかにも主食にふさわしい食べ物ですね。

もう一つ、芋類を使った主食枠の食べ物として、シノレ/Sinoleというのがあります。
村のお母さんが作ってくれました。

シノレ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

南スラウェシなどでシノレというと、サゴヤシの澱粉とココナッツを合わせたものを指すようですが、
ここバンガイ諸島では、キャッサバを使います。
バンガイの言葉で、シノレはソレ/Soleと呼ばれるそう。すり下ろす、という意味だそうです。

キャッサバをすり下ろして作るものとして、
以前、南東スラウェシの島々で食べられているカスアミについて書きましたが、
シノレは蒸すのではなく、鍋で炒るようにして火を通すのが特徴です。
キャッサバをすり下ろし、水分を絞って、一旦天日干しで乾燥させ、
その後、ココナッツと混ぜ合わせたら水適量を加えつつ、鉄鍋で火を通していきます。

シノレ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017 

お母さんのシノレには椰子砂糖が少し足してあり、ほんのりとした甘みと炒ってできる微かな焦げ味が美味。
これは、一度、自分の家でもつくってみたいなと思います。

ちなみに、先のカスアミですが、普通はあれこれ混ぜないようなのですが、
砕いた椰子砂糖を混ぜて作った「ククス/Kukus」と呼ばれるものもこの地域で目にしました。

さて、最後に、主食ではないですが、おやつ枠で。
揚げウビ・バンガイと、揚げロカ・パウ。

揚げウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017 

外側カリカリ、中ホクホク。ああこれは危険。

揚げウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017 

添えているのは、トラシを使ったダブダブ(バンガイではサンバル全般をダブダブと呼びます)
唐辛子、バワン・メラ、ニンニク、トマト、トラシを炒めて、塩を加えつつ潰していったもの。

そして、揚げロカ・パウ。
まず、皮を剥いたものを、適当な厚みにスライスします。

ロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

3枚くらいですかね。

そして、油でじゅーーー。

揚げロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

きつね色になるまで揚げていきます。
ちなみに、お母さんは「赤くなるまで」と言いました。表現も色いろ。

揚げロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

赤く揚げ上がった青いロカ・パウ。

これにつけたダブダブ(サンバル)がまた美味しかったのです。
ピーナッツを使ったダブダブ・カチャン。

ダブダブ・カチャン Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

唐辛子、バワン・メラ、ニンニク、トマト、塩に、揚げピーナッツを加えてなめらかに潰します。

それを、油で炒めていきます。

ダブダブ・カチャン Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

じゅーーー。
水分が飛ぶまで、気長に。

ダブダブ・カチャン Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

ほら、美味しそう。

ダブダブ・カチャン Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

ホクホクの揚げロカ・パウに辛味の効いたダブダブ。止まらない、止まらない。

これもまた、自分で作ってみますね。

ウビ・バンガイは4玉ほど買って、バンドンのわが家に持ち帰ってきました。試しに植えてみます。
とりあえず、今夜はウビ・バンガイを入れた豚汁を作ってみるつもりでいるのです。