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2024/08/18

ムスティカラサ/Mustikarasa

ムスティカラサ

ムスティカラサ/Mustikarasaという本があります。
時の大統領の指示により1967年に出された、インドネシアの端から端まで、各地の料理を集めた壮大なレシピ集。
その後、2016年に再版され(わたしもその時に買いました↑)、今年に入ってまた注目されています。
インドネシアの食文化を見直すことを目的とした、Mustika Rasa Kini(現代のムスティカラサ)という活動や、この本のレシピに基づいた料理を出すレストランなども。

わたしはずっと、単純に、料理を通じての国家統一や、ナショナリズムを高めるためのものだと思っていたのですが、もっと切実に、食糧問題に対応するための政策という意図を持って編纂されたものだったのだと知りました。
というはなしを、今回は。
どこかに旅したとか何を食べたとか、そういうのじゃなくて堅苦しい内容なので、ちょっとうちの猫を添えて。

ムスティカラサ

トータルで1200ページ以上の厚さで、収められたレシピの数は1700ほど。
各地の郷土料理のほか、中国や西洋の料理も含み、レシピ以外にも素材の知識や栄養学的面からの解説もあります。

インドネシアの初代大統領スカルノが指示を出し、その妻のハルティニの監修のもと、1961年から始動したプロジェクト。
メールもファックスもなかった時代、彼らは全国の役所や婦人会などの組織に手紙を送りレシピを募りました。
寄せられたレシピは女性達が実際に試し、その作業や味の確認作業を行い、レシピのみではなく、栄養知識を共有し、献立の組み方も提案するものとして、プロジェクトは進みます。

ムスティカラサ

ムスティカラサ

一大プロジェクトの背景にあったのは、当時の食糧難でした。
インドネシア独立(1945)前と比べて、1965年には米の収穫量は倍に増えていたと言いますが、にもかかわらず、人口も倍に増え、一人当たりの米の消費量も増え、国が政策として農業支援を進めても、いつまでたっても国民の腹は満たされなかったのだと言います。

長きにわたるオランダによる植民地支配、第二次大戦中の日本軍支配を経て1945年に独立を成し遂げた初代大統領は、食糧(=米)自給も国家独立の一つの重要な要素と捉え、国を挙げて取り組んでは来たものの、米の価格の上昇は止まらず、国民の不満も募るなか、軍によるクーデター930事件が1965年に起こり、その後1967年には正式に退陣を余儀なくされます。
そんな、スカルノの政権末期のプロジェクトであったムスティカラサは、彼の失脚と前後する1967年に(やや急足で)出版されることになったのです。

ムスティカラサ

この本の本旨とは、全国各地の地場の素材を用いた食文化を復興/訴求することで、
元来米食ではなかった地域では、米以外のローカルな食材の見直しを進め、米不足を解消しようとするもの。
なので、レシピには、東ヌサトゥンガラ地方で食べられていたトウモロコシ粥、ジャグン・ボセ/Jagung Boseや、インドネシア東部を中心に食べられていたサゴ澱粉の粥、パペダ/Papedaなども掲載されています。

ムスティカラサ

材料別のインデックスで主食の欄を見ると、米を材料とするものが圧倒的に多いのは事実なのですが、その次にトウモロコシを持ってきています(その後、小麦粉、そして芋類)。

ムスティカラサ

主食に限らず、その土地の人々が本来ずっと活用してきていた、そこで採れる食材を使い、美味しくて体によい食事を作れるように、という、地場の食材を見直すことも期待していました。
食生活の原点回帰を促すとも言える、食糧政策としての国を挙げてのレシピ本の編纂。

そこに至る、インドネシアの、というかインドネシアという国ができるより以前からの、人と食の推移を、ここしばらく本で読んで勉強していました。

Ahmad Arifの3冊

インドネシアになる以前のこの島々のことを、なんと呼ぶのがいいか。それははもう「ヌサンタラ」なんですけど、なんか、新首都が「ヌサンタラ」になっちゃったもんで、使いにくいですね。でも、とりあえず、ヌサンタラで行きます。

この先は、自分の備忘録的メモでもあるので、だらだらと続きます。あと、まだ理解の途中なので、後から「あ違うわ」となることもあるかもしれません(だいたい、なんでも「あーなんかわかった」と思ったことは、あとから「わかってなかった」と気づくものですし)。ご了承ください。


まず、ヌサンタラへの人類の移動の段階。
①第一次アウト・オブ・アフリカ:ヌサンタラ着は50,000年前ほど
②第二次アウト・オブ・アフリカ:11,000年前
③第一次アウト・オブ・台湾(オーストロネシア系):4〜5,000年前
④第二次アウト・オブ・台湾:2,000年前
⑤インド・アラブ系移民(ヌサンタラ西部):2,000〜2,500年前

で、これらの人々の定住と食生活の変移は、
①と②の人々は狩猟採集生活を営み、ヌサンタラ各地に広がって行った。当時は、氷河期であったため海水位が低く、ヌサンタラ西側は半島と一体であったりして、移動もしやすかった。
のちに人口の増加などの要因を受けて、農耕へ移行して行く。地球の気温上昇により、草原が森になるなどして、猟がし難くなったからという仮説もあり、面白い。

狩猟採集の生活を送る人々は、現在のインドネシアにもまだいる。パプアのセンタニ湖周辺の人々は、サゴ椰子の澱粉を収集し、湖の魚を捕り、日々の食糧としている。

農へ移行した最初の形跡はパプアで、インドネシア領パプアのバリエム渓谷(人類が定住したのは27,000年前と言われる)では、タロイモ栽培+灌漑整備の形跡は7,000年ほど前まで遡れる。現在は隣国となるが、パプアニューギニア領の地域では、10,000年前にタロイモ栽培の形成が見られ、バナナは6950年前から栽培されているとされる。

③の初期オーストロネシア系移民がイネを持ち込んだ。
彼らは農耕民で、ここでのイネは陸稲。彼らが、カリマンタン等の狩猟採集民と交わった形跡もあるそう。初期農業は焼畑農業。一定の森林を焼き、農地として開墾し、数年ごとに移動していくというシステム。
現在も、カリマンタン内陸のダヤック人は陸稲を用いた焼畑農業をおこなっている。

④と⑤は水稲を持ち込んだ。
おそらく④が先行したようだが、ヌサンタラの特に西部に強くインパクトを持ったのは、⑤のインド水稲。
まずはジャワに伝搬し、一気に拡大定着、スマトラやカリマンタン南部、バリへと伝搬していく(スマトラ北部のアチェや、西部のパダンあたりには、インドからの直接的影響も見られる)。
その後、ヌサンタラ各地で繁栄した王朝を中心に水稲栽培は浸透していった。現ジョグジャカルタ付近を中心とした古マタラム(732〜1045)王朝の遺跡や、シャイレンドラ(760〜850)王朝が建立したボロブドゥール寺院のレリーフなどに、水稲栽培の様子が見られる。
その後、18世紀には、ジャワの低地などは米食が主流となっていた。

Ahmad Arifの3冊

それ以外の地域の主食は、というと、東インドネシアで現在も食べられているサゴ椰子の澱粉。これは、かつてはヌサンタラ各地で食べられていた。
カリマンタンのプナンが食するサゴや、西ジャワの内陸の民が食するサゴは、パプアなどのサゴと木は違うが、椰子科の植物の幹から採取した澱粉であることは同じ。

また、バナナの他、芋類は、最も古いタロイモの他、16世紀にポルトガル、もしくはスペインによって持ち込まれたサツマイモ、そして1892年にオランダが持ち込んだキャッサバなどが主食として広く食されていた。

トウモロコシは東ヌサトゥンガラ州などで今もよく食されているが、サツマイモ同様に16世紀にポルトガル/スペインによって持ち込まれ、定着した。

キビの仲間であるソルガムもよく食べられていた。ヌサンタラに伝搬したのは米よりだいぶ以前である可能性が高く、乾燥地でも手をかけずともよく育つので、各地で栽培された。ただ、主要作物として表に出ることは稀であったため、米の浸透と共に忘れ去れられた感がある(近年、食糧危機に対応する植物として意識され始めてはいる)。

で、それらを踏まえ、このヌサンタラにおける、その後スカルノも頭を悩ます事になる、続く政権でさらに悪化し、いま現在も解決されていない、米化の流れです。

うちの猫で一息いれとく?

ねこ

そもそも、ヌサンタラの人々は、それぞれの土地でそれぞれの植生に合わせた食生活を送っていた。
オランダによる植民地化。強制栽培を目的とした農地のとり上げ、地主小作システムの確立。
主に、ジャワとスマトラを中心として行われた。彼らは、稲作を行う農地を失うと共に、手のかかる稲作に割く労力がなく、この期間は米の消費は減少する。代わりに、乾燥地などで手をかけずとも育ちやすいサツマイモ、キャッサバ、トウモロコシなどが代替主食となる。
インドネシア独立(1945年)
国家の独立=食糧(=米)自給を目指し、米の生産量を倍増させたが、人口も倍増。また、一人当たりの消費量も増え、米の充足は達成されない。
植民地時代に米を取り上げられた地域の人々が独立後の国策に中心となったため、食糧=米、とにかく米、米、米を、という米バイアスが拭えなくなったのではないか、というのは個人の感想(でもそうだと思う)。
従来食の見直し。乾燥地帯の活用も視野に入れ、トウモロコシなどの栽培も推奨。食の意識改革を目指して、ムスティカラサの編纂を指示(1961)。
米の値段上昇を抑えられず、初代大統領スカルノ失脚(1967)。かろうじて出版されたムスティカラサだが、国策に反映されることはなく、時期大統領として、スハルト就任。
農村出身のスハルトは「緑の改革」を掲げ、食糧=米の自給を目指す。多様であった在来種を一掃し、品種改良された指定品種+化学肥料+農薬を使った水稲栽培を推奨。他の作物の栽培農地も水田にするよう指示。
そもそも、焼畑による陸稲栽培は在来種の多様性を維持するに向いていたが、水田による水稲栽培はモノカルチャーの走りとも言えるシステムであり、それがさらに指定品種に制限されてしまったことで、米の多様性が失われた。以前は8,000前後あったとされる在来品種も、その多くが失われてしまったと言う。
また、指定品種の種、化学肥料、農薬、などの購入が必要となるため、稲作はお金のかかるものとなる。それが、地主小作の格差拡大を助長したとも考えられる。
経済的自立を求めて外資の参入に非積極的だったスカルノから、外資と協力関係を結ぶスハルトへ移行した結果、大規模な環境破壊が進む。
一例として、カリマンタン。森林の木材を伐採し、日本の商社へ売却。伐採された森は、放置されるか、パーム椰子など商品作物のプランテーションとして使われる。
移動型の狩猟採集民として暮らしていた土地の人々にとっては、生活の場であった森が失われることになる。食の自給が絶たれ、貧困者枠へ入れられ、従来は米食ではなかった彼らに、支援として米を送られるようになる。
定住化を余儀なくされた人々は、商品作物の栽培を行い、それを売ったお金で米を買うようになる。
各地で同様のことが起こる。
政府=ジャワなので、食糧=米なのは変わらず、支援は常に米。
受給側にとっては「国から与えられるもの」「お金を出して買うもの」である米は、従来の食を支えた「採れるもの」より上位のものというイメージがついていく。
結果、特に若い世代から、従来食よりも米食を求める傾向が強くなり、米依存となっていく。
1954年には米を主食とする人は、全国民の53.5%であったが、1981年には81%にまで上昇している。
しかし、従来米食でなかった地域というのは、米栽培に不向きな土地である場合が多い。このため、従来食を捨て米食へ移行するというのは、必然的に地域での食糧自給が低下することになり、購入するか、国から支給される米に依存することになる。
スハルト失脚後も米化の流れは止まらず。
外部からの米、政府支援の米に依存する貧困地域に明確な策はなく、米による食の植民地化とも言われる。
一例として、東スンバの内陸の村。1970年代までは、米(水稲+陸稲)、トウモロコシ、ソルガム、豆などを栽培し、食を賄えていたが、2016年時点で消費は米中心となり、地域の米総消費量125.5トンのうち、収穫で賄えるのはわずが32.5%のみであり、あとは外部に依存するしかないと言う。
地域支援としてのインフラ整備が進むことで、農業従事における労働力が流出する。加えて、消費作物に代わって換金作物を栽培するようになり、収穫物は自分達が食べるのではなく、町へ出て売るものになる。売ったお金で米を買う。
近年、米食は低下傾向。代わりに小麦の消費量が上昇。ただし、小麦は100%輸入のため、自給率はさらに低下することになる。
小麦=インスタント麺
2024年は400万トンの米を輸入すると予測され、これは過去最大の数値。

で、この状況をどうにか見直そうという流れが、冒頭の「現代のムスティカラサ」のムーブメントなのです。

ムスティカラサ

たぶん、こういう流れ、わかっている人はきっとちゃんとわかっていたんだと思うんですがわたしあんまり気づいていなかったんですよね。
パプアで、あんなに美味しいパペダを前にして、子供たちは米を食べたがると聞いて、あんなに豊かにあるサゴ椰子の澱粉より、みんな今は米志向だと聞いて、ようやく「え」となりました。
パペダよりご飯が上なのだろうか?と。

確かに、米は美味しいんです。わたしも日本人なのでそれは認めます。その米のおいしさが中毒性を持つのも確かです。そして、美味しいは、割と全てに優先されるのも事実だと思うので、もうどうしようもないのかな、とも思うのですが。

でも、例えばGI値を比べると、ご飯は80ですが、サゴは40です。
ご飯の方が、サゴより燃焼されやすいので、すぐにお腹がすいてしまうんですね。
加えて、これはメンタワイ島でのデータですが、1時間彼らが働いて得られる収穫としては、サゴは2.6キロなのに対して、米は0.6キロなんです。効率が非常に悪い。
作業効率が悪く、燃費も悪く、かつ自給できないので外部に頼らざるを得ない、そんな米なのに。
というジレンマを感じてしまったのでした。

ムスティカラサ

なので、この一式を調べて、結構満足しました。
それを知って、じゃあ今から何かできるのかといえば、できることはほとんどないでしょうが、それでも、知っているから気付けることっていうのはあるわけですしね。
長々お付き合いありがとうございました。

次はコメの地へ、という計画に変更はありません。


2024/07/10

パプアの食卓②:芋食

蒸しサツマイモ Baliem_Papua, 2024
 
芋の話をしよう。

パプアの、特に山のパプアでは芋が主食です。
たくさん芋を栽培し、たくさんたくさん芋を食べます。

芋主食の地域というのはパプアに限ったものではなく、例えば、太平洋の島々にも多く見られる食文化です。
ハワイの先住民たちもタロイモを主食にしていたと言いますしね。
ジャワやスマトラなどのインドネシア西部は、中国やインド、アラブなどの影響を強く感じますが、
パプアに来ると、この先の東方に広がる太平洋の島々の文化圏にいるんだなと感じます。
(地域分類としては、パプアはメラネシアに入ります)

庭先のタロイモ Baliem_Papua, 2024

山のパプアで最初に栽培され始めた芋も、タロイモだと言われています。6,000年前と推定されるとか。
タロイモはパプアではケラディ/Keladi、インドネシア語だとタラス/Talasと呼ばれます。
日本の里芋もタロイモの仲間ですし、タロイモはアジアで広くよく食されていますね。
ちなみに、カリマンタンのポンティアナク/Pontianakの細切りタラスを揚げたお菓子は、わたしの大好物です。

パプアの高地、現在もタロイモ栽培は見られますが、圧倒的主流はサツマイモです。

収穫されたサツマイモ Baliem_Papua, 2024

パプアでサツマイモが栽培され始めたのは300年ほど前ではないかと言われています。
タロイモと比べたら、圧倒的にニューカマー。
ですが、土地に合ったのでしょう、現在このバリエム渓谷には39種類のサツマイモがあるのだとか。
ワメナの市場にはゴロゴロとサツマイモが並び、タロイモは負け気味。
むしろ、サツマイモよりさらに新しく入ってきたキャッサバの方がタロイモより多いかも?というくらい。

市場のサツマイモ Wamena_Papua, 2024

市場のキャッサバ芋 Wamena_Papua, 2024

キャッサバはどんな土地でもよく育つ心強い芋なので、浸透が早いのも納得です。

バリエム渓谷 Baliem_Papua, 2024

バリエム渓谷は高地に広がる盆地。
耕作に適した土壌であることからあちこちに畑がみられます。
とにかく芋作。そしてその隙間に他の葉野菜などを植えています。

タロイモ畑 Baliem_Papua, 2024

サツマイモ畑 Baliem_Papua, 2024

盛り土をして周辺に水路を切る形態が多く見られました。
サツマイモは水はけを好むので、こういう形になったのだと思われます。

みんな、ここの土はとても肥沃だから、肥料などをあげずともなんでも良く育つのだといいます。
「肥料がいらない」をとても強調するのです。
これは、サツマイモは過剰に追肥された畑ではむしろ育ちにくいという話とも一致します。

畑 Baliem_Papua, 2024

この畑は、サツマイモとタロイモを混在させ、周辺に葉野菜、バナナ、タコの木の一種などを植えています。
番犬もいる、いい畑だなあと思います。

が、この地域の人たちは、こういう盆地の畑より、山の斜面の畑の方がいいのだと言います。
耕作は大変ですが、斜面の方が水がたまらないので、芋の味が良くなるのだそう。

バリエム渓谷山側 Baliem_Papua, 2024

この景色も、実は、手前や向こうの斜面が開墾されているんです。
山の畑は盆地のように水路を切ったりはしないので、遠目だと草原とあまり区別がつきませんね。

山の畑 Baliem_Papua, 2024

家の周りを広く開墾していました。わしゃわしゃ見えるのはサトウキビ。
サトウキビもこの地域でたくさん栽培されています。砂糖に精製するのではなく、そのまま齧ります。

山側では、家屋の周辺の耕地以外に、斜面を焼畑で開墾することも多いそう。
3〜4年で移動するという話しでしたが、訪れた集落の持つ畑は既に9年目だと言われました。

農地を焼く煙 Baliem_Papua, 2024

山のパプアでサツマイモは、人々の日々の食事だけではなく、彼らの大事な財産である豚の食糧にもなります。
人と同じものを与え、しっかり太らせることで豚の価値は上がっていくのです。

サツマイモ収穫 Baliem_Papua, 2024

このおじいさんのサツマイモ。すごく大きくて立派でした。
「大きいねえ!」と感心していたら、その場で小さく切り分け、豚小屋にいる豚に全部あげてしまいました。

芋を大きく育てる手法というのは、インドネシア政府の農業指導のようです。
地を這って広がっていくサツマイモの茎を、高く引き上げてあげることで脇芽から芋ができることを防ぎ、
結果、地中の芋にしっかり栄養がいって大きく育つのだそう。

引き上げられたサツマイモの茎 Baliem_Papua, 2024

おじいさんの畑も、そのやり方に従っていました。
うちの庭のサツマイモは地を這いっぱなしにしているので、ちょっとやり方変えてみようと思います。
ちなみに、サツマイモの葉も、彼らの食卓に頻出する野菜です。

サツマイモのない暮らしなんて考えられないというほど、人々の暮らしに浸透しているサツマイモ。
サツマイモの原産地は南米です(ペルー説とメキシコ説があるようです)。
南米からスペイン人の手によって、ヨーロッパ、アフリカ、アジア各地へと運ばれ、
それが東南アジア島嶼部に至り、時間をかけてパプアの高地にも届いたというのが定説です。

斜面の農地と家 Baliem_Papua, 2024

ですが、それよりずっと以前に、
太平洋の人々によってパプアにサツマイモがもたらされていたのではないか、という説があるんです。

秀でた航海術を乗っていたポリネシアの人々が、コロンブス到達より以前から南米と交易し、
まずはマルケサス諸島にサツマイモが入り、それが数百年をかけてハワイやイースターなど、
マルケサスより西方の島々に伝わっていったルートがあると言われています。
現時点では、そのルートがパプアを含むメラネシアに達していたという確証はないのですが、
ポリネシア人たちが文字を持たない人々であったために記録がないのであって、可能性はあるのではないか、と。

あくまでまだ仮説ですが、夢がありますよね。太平洋を渡ってやってきたサツマイモ。

茹でサツマイモ Baliem_Papua, 2024

パプアのサツマイモ、とても美味しいのです。
ジャワなどから輸入されてきたグレードの低い米よりも、ずっとずっと幸福になる味でした。

ということで、次回は、この山のパプアの伝統的な調理方法(含む芋)について。

2022/09/14

森のバター(西カリマンタン)

テンカワン・オイル Lanjak_West Kalimantan, 2022

フードコンテストで調理中だったダヤックチームの食材に、棒状の油を見つけました。
手触り食感はまさにバター。森のバターです(アボカドではなく)。

このコンテストに先立って、地域の子供たちを対象にした食のワークショップが行われました。
その中で、カリマンタンの森でとれる油はなに?というクイズがありました。
まさかここで「サウィッ(オイル・パーム)」とは答えさせないだろうなと思いつつ、答えを待っていたら、
そして子供たち、特に村に住む子供たちは、なかなか答えられなかったのですが、
テンカワン・オイル/Minyak Tengkawangという聴きなれない名前が飛び出したのでした。
それが、この森のバターの正体。

テンカワンの実 Lanjak_West Kalimantan, 2022

森に生えるテンカワンという木の実の中身を圧搾してとる油で、
体温でとろけるこのバターは、昔からダヤックの人たちの間では調理用油として使われていたのだそうです。
(ダヤックの人たちはあまり油は使わないというのはその通りではあるのですが、まあ、時には)

以下、ざっと、聞いた話し。

テンカワンは13種類くらいある木で、カリマンタン、特に西カリマンタンに多く自生している。
スマトラにも2種くらいあったはず。
川沿いに生えることが多く、動物も魚もこの木の実が大好き。
水中に落下した実を魚が食し、その良質の油を接種した魚は脂ののりがよく美味しくなる。
ダヤックの人々の暮らしに根ざした木で、
畑で種を蒔くタイミングの目安として、テンカワンとリンクさせた時期表現がかつては使われていた。
捨てるところのない有用な樹木で、建材として優秀であったり、葉は染料になったりした。
1970〜80年代まではボゴール農科大学も定期的にリサーチを行い、その活用方法を探っていたが、
オイル・パームの栽培が普及して以降、そのリサーチも無くなった。
やや独特のにおいがある油で、収穫後に一度茹で、それを乾燥した後で圧搾することで改善、
食用の他にもコスメとしても使えるということで、現在商品を本格販売に向けて準備中。
インドネシアに医薬食品監督庁に登録申請も行っているが、認可にはもうしばらくかかりそう。
行政側の認定基準はパームオイルに基づいていて、もちろんパームと同じ用途はカバーできるが、
より栄養価も高いオイルとして、別途指標を設けて欲しいところ。

と。
なるほど。

テンカワン・オイル使用の商品 Lanjak_West Kalimantan, 2022

戻ってきてから調べました。テンカワンって、フタバガキだったんです。

ちょっと引用(『熱帯多雨林の植物誌 東南アジアの森のめぐみ』W・ヴィーヴァーズ-カーター、1986年、平凡社)
「マレーシアや大スンダ列島の低地多雨林は世界でもっとも背の高い多雨林だが、その特徴となっている高さをつくりだしているのがフタバガキ科の樹木である。根元は巨大で、しばしば板根をもち、枝を落としながら生育するので枝のでていない太い幹がはるか視界のかなたまで伸び、その上に特徴のあるカリフラワーのような形の樹冠を広げている。申し分のない形状と、材質がかたくてしかも軽く、大半の種のものは水に浮くということを結びつければ、なぜフタバガキ科の樹木が伐採人や材木商人にとっては理想に近い木なのか容易にわかるし、それゆえに評価がたいそう高いということもすぐに理解できる」

自分の中で繋がった感。

フタバガキは、東南アジアの森林の話題ではよく出てきます。
カリマンタンでは13種と言われましたが(その数字はまた何かしらの基準に基づいてのものなのでしょうが)、
実際にはもっと種類は多く、東南アジアも全域に分布しています。
樹液がバティックの蝋引きに使われたりもして、なにかと馴染みのある木。
木材は、いわゆるラワン材と呼ばれる南洋材で、使いでのある材としてよく売れるのだそう。
カリマンタン/ボルネオで森林を切り拓いてオイル・パーム畑にする際に、
まずそこで伐採した木材を売ってしまう訳ですが、その中でも換金制の高かったのがフタバガキと聞きます。

パーム畑だらけになり、森が減り、村の台所でも料理に使われるのがパームオイルになった今、
子供たちにはほとんど馴染みのない存在になってしまったわけですね。

テンカワン・オイル Lanjak_West Kalimantan, 2022

こうやって竹筒に入れられているんです、かわいいですよね。

このテンカワン・オイルを使った製品開発をしているひとたちは、
伝統的でありかつ成分的にもとても優れているテンカワンをもっと認知してもらおうと努めています。
すでにその数を減らしてしまっている植物であるわけですし、
今から植えて、実をつけるようになるのには数十年、その後も結実は数年単位で間があくというフタバガキ、
パームオイルに取って代わる存在にはなれないと思うのですが(パームは敵としては巨大すぎます)、
長く使われてきたものが消えないために、という努力としてとても大事なことだと思います。
また、少なくとも一部地域にとって、このテンカワン・オイルが現金収入の手段となればいいのにな、とも。

テンカワン・オイル Lanjak_West Kalimantan, 2022

今回の旅は、森の豊かさを実感する旅ではあったのですが、
一方でその森の側で暮らす村の人は「ここの暮らしは大変よ」と言います。それも事実。
日々の食を賄うに十分な豊かな森ではあっても、
人は「日々の食」以上のものを求めるわけで、それが現代社会の「豊かさ」でもあるんですよね。
その結果が、拡大するパーム畑でもある。
パームは絶対悪かというと、まあ善とは言い難いまでも、ひとつの手段であることは事実だと思います。
ただ、むやみやたらと森を切り開くのも違う、と認識しているのが今の時代であり、
そのあたりをどう采配するのか、若い知事でもあるカプアス・フルの行政には期待するのですが。
子供たちのワークショップの開会の際にスピーチをした村長さん(この方も若かった)が、
「伝統を守ることはとても大事だが、伝統を守ることはプリミティブな暮らしに戻るという意味ではない」
とおっしゃっていて、横でまったくその通りだよなあと思いました。
都会に暮らす人が「伝統を守る」と言うのと、
消え行きつつもその伝統的暮らしに身を置き続けている人たちにとっての「伝統を守る」は意味合いが違う。
なんてことも、徒然に考えていました。

そんな村での「現金収入」といえば、これも。

クラトムの葉 Lanjak_West Kalimantan, 2022

クラトムの葉/Daun Kratom。
道端や家家の軒先、庭などにやたらと干されていたんです、この葉っぱ。
聞けば、鎮痛効果だったりいろんな薬効があって、伝統薬として親しまれているんだそうです。
「でも、イリーガル」と言われて「え、ええ??」ってなったけど、汗。

クラトムの葉 Lanjak_West Kalimantan, 2022

調べてみたら、日本ではアヘンボクという別称もある植物らしく、薬物指定されているようです、汗x2。
インドネシアでも、モルヒネ以上の作用があるとか言われて注意喚起が出されていました。

土地のひとたちは体力つけるためとか、頭痛の時とかに普通に飲むよ、と言うのですが。
この写真を撮らせてくれたお家のお母さんは、
ずっと高血圧で悩まされていて、でも薬は飲みたくないからとクラトムを水で溶いて飲んでいたのだそう。
今はすっかりいいのよ、と笑っていました。

湖のほとりの村なので、雨季で水位が上がると家の床下(時には床上)まで水に浸ることもある地域。
そんな土地の庭に、長期間水に使っていても問題ないというこのクラトムは、適した作物なのでしょうね。

クラトムの木 Lanjak_West Kalimantan, 2022

そんなクラトムがこのコロナ禍で、なんとなくコロナに効く的な言われ方をして需要も増して、
(インドネシアの人たちは「薬」をあまり好まない傾向があり、ハーバルな選択肢があればそちらを選びがち)
村のひとたちも、自分たちで消費する以上の量を用意するようになったのだと思われます。
そういう意味での、現金収入。
彼らが伝統的に摂取している量と方法であれば、彼らが言うような効果があるのでしょうが、
容量を間違えたり、別の意図で使用されたりすることがあると危険なのだろうな、と思います。

あともう一つ、アラス/Arasの葉。の粉。
アラスという葉を乾かして粉砕したものをボトルに詰めて売っているのですが、
これは、ダヤックのひとたちが昔から石鹸のようにして体を洗うのに使っていたものなのだそうです。
「森から帰ってきて、なんか痒かったりすることあるじゃない?あれが消えるの」と言われました。
日常的に森から帰ってくるような暮らしではないのでよくわからないのですが、でも1本買ってきました。

アラスの葉 Lanjak_West Kalimantan, 2022

葉っぱのにおいのするスクラブ、みたいな。
アラス効果なのかスクラブ効果なのかわからないですが、すべっとした洗い上がりです。

ということで、西カリマンタン内陸の旅でした。
異文化ってこういうことだー、と実感した日々でした。
これまでカリマンタンって、インドネシアの他の地域と比べてどうにも縁遠い感じがあったのですが、
これを機会に、少しずつ知っていければいいなと思っています。

 

2022/08/28

ダヤックの食卓とムラユの食卓(西カリマンタン)

 
ダヤックごはん Lanjak_West Kalimantan, 2022

ということで、予告の通りフードフェスティバルについて。
ここで、伝統料理コンテストがあったのです。
ルールは、この土地に暮らすふたつの民族、ダヤック人とムラユ人それぞれ4組4人ずつが2時間で調理、
前日に森で採ってきた素材で、市販の化学調味料等は用いず、前菜・メイン・デザートで構成。
「もう絶対楽しいそれ!」って感じでしょう。そう、めっちゃ楽しかったんです。

そのコンテストに参加していダヤック人とムラユ人について、まず。

カリマンタンの内陸部、熱帯の森に元々暮らしていた民族がダヤック人たちです。
(さらにサブグループに分かれるのですが、まあ、大きくダヤックと括っておきますね)
この地域のダヤック人たちは、ロングハウスと呼ばれる伝統家屋に暮らし、焼畑耕作を日々の基本としています。

ロングハウス Batang Lupar_West Kalimantan, 2022

ロングハウス Batang Lupar_West Kalimantan, 2022

ロングハウス Batang Lupar_West Kalimantan, 2022

森の長屋ですよね。
長い廊下とデッキは共有スペース、向かって右側に個別の居住部屋(2間+水場+トイレ浴室)があります。
壁に掛かっているのは、農作業や湖・川での漁に使う用具で、これらも竹やロタンなど森の素材でできています。
彼らの畑というのは、居住地近くの日当たりのいい斜面などで、
それぞれの集落が決まった用地を何箇所か持ち、焼畑を行いながら転地耕作をしていきます。

斜面の農耕地 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

遠くの斜面にぽっかり黄緑のスペースがあって、その下に茶色い部分があるの、わかりますか?
手前側の斜面の上部と中部も木々のテクスチャーが違います。この中腹一体が耕作用地。

まず、用地の木を切り、野焼きを行います。その灰が土地を栄養になるんですね。
で、最初の年に、まずは稲を植えます。水田ではなく陸稲です。
稲作は1年だけだと言う人と数年使うと言う人がいましたが、その稲作の後、数年は畑として使い、
その後、木(ゴム)を植えて森(商業林)に戻し、数年後またそこを焼くというサイクルです。
焼畑農業というと、森を焼いてしまうというイメージもありますが、
その都度原生林を伐採しているわけではないので、彼らの伝統的焼畑はそれほど環境負荷は高くありません。

ダヤックごはん Batang Lupar_West Kalimantan, 2022

ダヤックごはん Batang Lupar_West Kalimantan, 2022

これはロングハウスでいただいたごはん。
ちょっと茶色いご飯が、彼らの耕作地で採れた陸稲のご飯。お腹に重くなくて、本当に美味しいお米です。
以前は赤・茶・黒などいろんな種類の米を栽培していたそうです。
湖で捕った魚と、山で採れた筍、畑のキャッサバ芋の葉やロキオ/Lokio(らっきょう)がおかず。
ピンクのはトーチジンジャーの花と実を合わせたもので、酸味と香りがプレートのアクセントになります。

トーチジンジャー Batang Lupar_West Kalimantan, 2022

ここでは、花の方はチュチュン/Cucung、実はケチャラ/Kecaraと呼ばれていました。
刻んで潰して塩を少し加えたもの。唐辛子を少し足しても美味しいよ、と言われました。
これは、普通に自分の家でもやりたい感じの味です。

一方、ムラユ人は、この地に後から移住してきた人たち。
このあたりだったら、南カリマンタンのバンジャル人や南スラウェシのブギス人あたりかなと思いつつ、
でも、スマトラっぽさもあるし、どういう由来なのかちゃんと聞いておけばよかったと思っています。
彼らの食事はこの地の食材を生かしつつも、
ジャワなど、ほかのムラユ系の人たちの食卓でも見られるような構成を見せます。

ムラユごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

滞在していたゲストハウスがあるのはムラユ系の村なので、ゲストハウスのご飯は基本ムラユごはん。
お米は田んぼのお米、唐辛子を使うし、サンバルも使うし、クルプック(揚げ煎餅)もつきます。
わたしはサンバルとクルプックを食事の添える境界線はどこか、を地味に探っているのですが、
これはダヤックには基本的に持ち込まれていない食習慣のようです(パプアもないらしい)。

先の記事でも書きましたが、トマトをほとんど見かけない土地なので、サンバルはトマトなし。

サンバル Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

唐辛子に塩とシャロットとニンニク、そこにテラシ/Terasi(海老の発酵調味料)。
テラシはここでは作られていないので、市販品を使用、特に炙ることはせずそのまま使っていました。
そして、油は使わないタイプのサンバル。
まあ、サンバルに関しては家庭によるので、ここのムラユ全般の傾向とは断言しませんが。

あと、テンペもありました。

テンペ Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

テンペ Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

テンペの葉 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

大豆の発酵食品であるテンペはジャワが発祥のもの。
ジャワからの人々が移住して、インドネシア各地に広がっていったものですが、それがここにも。
包んでいる葉はジャンブー・モニェット/Jambu Monyet(猿のグアバ)と呼ばれている木の葉。
正直なところ味は、ジャワの人だったら文句言うだろうな、という感じなのですが(笑)、
この小さな1つが1,000ルピアという高級品です。

ムラユごはん(調理中) Lanjak_Kalimantan Barat, 2022 

基本的に、ダヤックの人たちは、土地の素材を活用して食事を構成し、
ムラユの人たちは、土地の素材に彼らの出身地の伝統を加えて構成する、という感じです。
先の記事のカンディスやカラマンシーのような酸味の素材も、ダヤックではあまり使われない調味料ですね。
また、森と湖や川で日々タンパク源として鮮魚を得ることに慣れているダヤックの人々に対して、
ムラユの人たちは、塩で保存(塩漬けの干し魚など)したり、それを購入して使用する傾向がある感じ。
これは料理の仕上がりの味にも影響していて、ムラユごはんは塩味強めな印象があります。

では、フェスティバルの会場へ。
まずはムラユごはんのチームへ。

ムラユごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

こちらはムラユグループの優勝チームでした。かわいいママたち。

ムラユごはんの素材 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

別のチームの材料。
トマトや玉ねぎ、シャロット、にんじん、ガランガルなど、土地のものではない彼らの食材も。
左手前のは貝。

ムラユごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ココナツミルクとスパイスで煮込まれた貝の料理。
料理していたママは「貝のグライ/Gulai」と言っていました。グライはスマトラ発祥の料理名です。
香り出しにレモングラスとトーチジンジャー。白ごはん欲しくなるビジュアルです。

ムラユごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

これまた別のムラユチーム。
手前の丸いのは、クルプック・バサー/Kurupuk Basahと呼ばれるこの地域の郷土料理。
一般的にはクルプックというのは揚げ煎餅ですが、
この料理では、魚のつみれとタピオカ粉を合わせて練り蒸したものを輪切りにしてあります。
南スマトラ、パレンバンのペンぺ/Pempekやラクサン/Laksanに似てる感じですね。

酸味のカンディスやカラマンシー、グライやペンぺなど、やっぱりスマトラ系のムラユ人なのかなあ。

クルプック・バサーの奥にあるのは、ジュクット/Jukutと呼ばれる、これまたこの地の郷土料理です。

ジュクット Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ゲストハウスでも料理してもらいましたが(わたしが「食べたい食べたい」とねだった)、
このフェスティバルでも何チームか用意してきていました。

川魚に塩をして米を合わせて漬け込み、1週間ほどで食べられるようになるというこの料理。
(「豚肉でもいいのよ」というママもいました)
カリマンタンのほかの地域、特に南カリマンタンのバンジャルマシン、または南スマトラでも類似するものがあり、
パカサム/Pakasam、ペカサム/Pekasam、ベカサム/Bekasam、などと呼ばれるものです。
これは、東南アジア山岳部や中国南部あたりに広く分布する、寿司の原型と言われるナレズシの一種で、
中尾佐助の『料理の起源』に「ボルネオ(カリマンタンの別称)イバン族のカサム」としても登場します。
(イバンはこのコンテストにも参加していたダヤックのサブグループのひとつです)
だいぶ前に読んでから記憶にこびりついていて、食べてみたくて仕方なかったんです。

寿司の原型とは言え、そのまま食べることはなく、だいたい炒めるなどの加熱調理をします。
レモングラスで香り付けをしたり、唐辛子で刺激を足したり、ゲストハウスでは酸味もつけていました。
発酵食品特有の旨味と、チーズにも似た芳香があり、かなり好きな味でした。
(ただ、好みははっきり分かれるらしく、苦手な人はすごく苦手っぽかったです、笑)

ムラユごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

再び優勝チームのごはん。
主食として右側に並んでいるのが、下から白飯、とうもろこし飯、お米が採れない時のキャッサバのもろもろ。
キャッサバはこの地にすっかり根付いた作物で、ダヤック、ムラユどちらのごはんにもよく登場します。

続いて、ダヤックチームの素材。

と、写真の前に。
ムラユチーム以上に森や湖で得られる食材を多用するダヤックチーム、興味深い食材・料理が並びます。
なので、そのまま載せるのですが、虫が多数出てきます。
わたしは基本的になんでも食べますし、誰かが食材とするものはそれは彼らの文化だと思っているので、
それをして「閲覧注意」的な扱い(ゲテモノ扱いするのは論外です)をするのもどうかと思うのですが、
ただ、虫はやっぱり生理的にダメな人もたくさんいると思うのです。
なので「あー苦手だ」と思う方、ごめんなさいね、この先は、ちょっと薄目で、写真を見てください。

ということで、素材です。

ダヤックごはんの素材 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはんの素材 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはんの素材 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはんの素材 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

葉っぱの種類が豊富ですね。
食べる、香りづける、包む、など、葉っぱをいくつも揃えて活用します。

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

この葉っぱを潰す道具も味わいがありますよね。
キャッサバの葉と一緒に、センクバッ/Sengkubakの葉もとんとん潰されています。
このセンクバッ、ツヅラフジの一種と言われますが、料理に入れると旨味が増すのだと言われ、
ダヤックの人たちはダウン・ミチン/Daun Micinと呼んでいました。
ミチンは、MSG、化学調味料のことなのです。味わいが増す葉っぱという立ち位置が伺える呼び名ですね。

とんとんした葉っぱは、タニシと合わせて、竹に詰めます。

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

調理に竹はよく使うダヤックの人たち。
こうして直に入れたり、大きな葉っぱで包んで入れたり。それを直火にかけます。

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

焚き火の煙で泣いてたわたし。

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

焼き上がりたち。
お魚の丸焼き、奥にあるのはリスの丸焼き。
葉っぱに包まれ、竹で挟んで蒸し焼きにされたものは、ゼンマイと蟻、そして山菜色々。

蟻は、ジャワやバリでも大量発生した羽蟻が羽を落としたところを集めて食べたりするのですが、
ダヤックの蟻は卵も一緒に蒸されています。白い粒々が卵。
食感は麹の粒みたいで、そしてマイルドな酸味があります。ああ蟻酸、と思いながら味わいました。

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

最後の山菜たちの中にある白いのは、サユール・リリン/Sayur Lilin。
以前、スラウェシのバンガイ諸島で、島のママに料理してもらったことがあります。
ほろっとした食感が美味しい野菜です。

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

固く干したお魚とバナナの茎を煮込んだスープ。この葉っぱがダウン・ミチン。だったはず。
(記憶が曖昧で断言できない、泣く)

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

そして、かわいらしかったのがこれ。デザート。
ウツボカズラの中に、椰子糖で甘みをつけた餅米やキャッサバ粉、紅芋粉を詰めて蒸したもの。
食べる時にはその花を剥いて中だけいただくのですが、香りがついて美味しいのだといいます。
このウツボカズラを使った料理は、パプアの方にもあると聞きます。
森の植物を活用する調理方法。まあ、確かにこの形状は、何か入れたくなりますよね。

ダヤックごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

といことで、出来上がりです。
竹の中には、川エビや、キクラゲ、ヤシオオオサゾウムシの幼虫、などが入っています。
ゾウムシの幼虫は用意していたグループが多く、ここでは串焼きになっていますが、煮込みなども。
ずっと食べてみたいなあと思っていたので、今回はいろんなバリエーションがあってよかったです。
固い部分はエビの尻尾みたいな、胴の部分はゆるんとしたクリーミー感で、なかなか美味しいものです。

ダヤックごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

幼虫食は、インドネシアも森がある地域では一般的ですが、
単に一般的なだけでなく、みんな大好きなんです。コンテストでも大人気。
フェスティバル開会時の県知事挨拶の中で、幼少期の思い出話として、
切り倒したアレン椰子の幹を掘っては幼虫を捕まえては、そのまま食べていたと語っていました。
こういう記憶の中にある味って、コミュニティの共通体験として、ひとつの結びつきなのかも、と思ったり。

ムラユごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

こちらは蜂の子。ムラユチームが用意していました。
幼虫食はダヤックに限らず、ムラユ系の人にとっても馴染みがあるようです。

テンポヤッ Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

それと、もうひとつ。テンポヤッ/Tempoyak。
これもずっとずっと食べてみたかった、発酵させたドリアンです。
ダヤックチームが用意していましたが、発祥は南スマトラだと言われています。
添えられた野菜につけて食べるのですが、これはまた、他にない味わい。
塩を加えて発酵させているため、ドリアンの甘味と濃厚な芳香に塩味と発酵旨味という複雑さ。
たくさん食べられるものではないくらい濃厚ですが、でもまた食べたくなる美味しさです。

ダヤックごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

デザートには、豊富なフルーツも。

ダヤックごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ダヤックごはん Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

甘いとか、渋いとか、酸っぱいとか、すごく酸っぱいとか。

本当に、いろんな味を味わって、いろんなものを食べて、すごく濃厚な時間でした。
ダヤックチームもムラユチームも、どちらも素晴らしく、各々の個性も出しつつ、
例えば、ムラユ系のテンポヤッがダヤックチームから出ていたり、
ダヤック由来と言われるジュクッが両チームから愛されていたり、
両者の間に明確な線引きがあるというよりは、緩やかに混ざり合っている隣人同士の食文化、という感じです。

普段、旅行中は野菜不足になりがちで、市場で果物を買い込んではせっせと食べたりするのですが、
今回のカプアス・フルでの滞在中は、本当に野菜が充実していて、それも嬉しかった。

そして、もうひとつ、油が少ないのです。

ごはんの準備 Lanjak_Kalimantan Barat, 2022

ムラユ系の人たちはまだ炒めたり揚げたりはしますが、ジャワと比べると圧倒的に油の使用が少ない。
ダヤックの人たちは、さらに少なく、彼らの調理法は蒸したり茹でたり焼いたりが基本です。
なので、すっきりたくさん食べられる、というのもあります。

で、そんなダヤックの人たちの油についてを、次回。