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2024/08/18

ムスティカラサ/Mustikarasa

ムスティカラサ

ムスティカラサ/Mustikarasaという本があります。
時の大統領の指示により1967年に出された、インドネシアの端から端まで、各地の料理を集めた壮大なレシピ集。
その後、2016年に再版され(わたしもその時に買いました↑)、今年に入ってまた注目されています。
インドネシアの食文化を見直すことを目的とした、Mustika Rasa Kini(現代のムスティカラサ)という活動や、この本のレシピに基づいた料理を出すレストランなども。

わたしはずっと、単純に、料理を通じての国家統一や、ナショナリズムを高めるためのものだと思っていたのですが、もっと切実に、食糧問題に対応するための政策という意図を持って編纂されたものだったのだと知りました。
というはなしを、今回は。
どこかに旅したとか何を食べたとか、そういうのじゃなくて堅苦しい内容なので、ちょっとうちの猫を添えて。

ムスティカラサ

トータルで1200ページ以上の厚さで、収められたレシピの数は1700ほど。
各地の郷土料理のほか、中国や西洋の料理も含み、レシピ以外にも素材の知識や栄養学的面からの解説もあります。

インドネシアの初代大統領スカルノが指示を出し、その妻のハルティニの監修のもと、1961年から始動したプロジェクト。
メールもファックスもなかった時代、彼らは全国の役所や婦人会などの組織に手紙を送りレシピを募りました。
寄せられたレシピは女性達が実際に試し、その作業や味の確認作業を行い、レシピのみではなく、栄養知識を共有し、献立の組み方も提案するものとして、プロジェクトは進みます。

ムスティカラサ

ムスティカラサ

一大プロジェクトの背景にあったのは、当時の食糧難でした。
インドネシア独立(1945)前と比べて、1965年には米の収穫量は倍に増えていたと言いますが、にもかかわらず、人口も倍に増え、一人当たりの米の消費量も増え、国が政策として農業支援を進めても、いつまでたっても国民の腹は満たされなかったのだと言います。

長きにわたるオランダによる植民地支配、第二次大戦中の日本軍支配を経て1945年に独立を成し遂げた初代大統領は、食糧(=米)自給も国家独立の一つの重要な要素と捉え、国を挙げて取り組んでは来たものの、米の価格の上昇は止まらず、国民の不満も募るなか、軍によるクーデター930事件が1965年に起こり、その後1967年には正式に退陣を余儀なくされます。
そんな、スカルノの政権末期のプロジェクトであったムスティカラサは、彼の失脚と前後する1967年に(やや急足で)出版されることになったのです。

ムスティカラサ

この本の本旨とは、全国各地の地場の素材を用いた食文化を復興/訴求することで、
元来米食ではなかった地域では、米以外のローカルな食材の見直しを進め、米不足を解消しようとするもの。
なので、レシピには、東ヌサトゥンガラ地方で食べられていたトウモロコシ粥、ジャグン・ボセ/Jagung Boseや、インドネシア東部を中心に食べられていたサゴ澱粉の粥、パペダ/Papedaなども掲載されています。

ムスティカラサ

材料別のインデックスで主食の欄を見ると、米を材料とするものが圧倒的に多いのは事実なのですが、その次にトウモロコシを持ってきています(その後、小麦粉、そして芋類)。

ムスティカラサ

主食に限らず、その土地の人々が本来ずっと活用してきていた、そこで採れる食材を使い、美味しくて体によい食事を作れるように、という、地場の食材を見直すことも期待していました。
食生活の原点回帰を促すとも言える、食糧政策としての国を挙げてのレシピ本の編纂。

そこに至る、インドネシアの、というかインドネシアという国ができるより以前からの、人と食の推移を、ここしばらく本で読んで勉強していました。

Ahmad Arifの3冊

インドネシアになる以前のこの島々のことを、なんと呼ぶのがいいか。それははもう「ヌサンタラ」なんですけど、なんか、新首都が「ヌサンタラ」になっちゃったもんで、使いにくいですね。でも、とりあえず、ヌサンタラで行きます。

この先は、自分の備忘録的メモでもあるので、だらだらと続きます。あと、まだ理解の途中なので、後から「あ違うわ」となることもあるかもしれません(だいたい、なんでも「あーなんかわかった」と思ったことは、あとから「わかってなかった」と気づくものですし)。ご了承ください。


まず、ヌサンタラへの人類の移動の段階。
①第一次アウト・オブ・アフリカ:ヌサンタラ着は50,000年前ほど
②第二次アウト・オブ・アフリカ:11,000年前
③第一次アウト・オブ・台湾(オーストロネシア系):4〜5,000年前
④第二次アウト・オブ・台湾:2,000年前
⑤インド・アラブ系移民(ヌサンタラ西部):2,000〜2,500年前

で、これらの人々の定住と食生活の変移は、
①と②の人々は狩猟採集生活を営み、ヌサンタラ各地に広がって行った。当時は、氷河期であったため海水位が低く、ヌサンタラ西側は半島と一体であったりして、移動もしやすかった。
のちに人口の増加などの要因を受けて、農耕へ移行して行く。地球の気温上昇により、草原が森になるなどして、猟がし難くなったからという仮説もあり、面白い。

狩猟採集の生活を送る人々は、現在のインドネシアにもまだいる。パプアのセンタニ湖周辺の人々は、サゴ椰子の澱粉を収集し、湖の魚を捕り、日々の食糧としている。

農へ移行した最初の形跡はパプアで、インドネシア領パプアのバリエム渓谷(人類が定住したのは27,000年前と言われる)では、タロイモ栽培+灌漑整備の形跡は7,000年ほど前まで遡れる。現在は隣国となるが、パプアニューギニア領の地域では、10,000年前にタロイモ栽培の形成が見られ、バナナは6950年前から栽培されているとされる。

③の初期オーストロネシア系移民がイネを持ち込んだ。
彼らは農耕民で、ここでのイネは陸稲。彼らが、カリマンタン等の狩猟採集民と交わった形跡もあるそう。初期農業は焼畑農業。一定の森林を焼き、農地として開墾し、数年ごとに移動していくというシステム。
現在も、カリマンタン内陸のダヤック人は陸稲を用いた焼畑農業をおこなっている。

④と⑤は水稲を持ち込んだ。
おそらく④が先行したようだが、ヌサンタラの特に西部に強くインパクトを持ったのは、⑤のインド水稲。
まずはジャワに伝搬し、一気に拡大定着、スマトラやカリマンタン南部、バリへと伝搬していく(スマトラ北部のアチェや、西部のパダンあたりには、インドからの直接的影響も見られる)。
その後、ヌサンタラ各地で繁栄した王朝を中心に水稲栽培は浸透していった。現ジョグジャカルタ付近を中心とした古マタラム(732〜1045)王朝の遺跡や、シャイレンドラ(760〜850)王朝が建立したボロブドゥール寺院のレリーフなどに、水稲栽培の様子が見られる。
その後、18世紀には、ジャワの低地などは米食が主流となっていた。

Ahmad Arifの3冊

それ以外の地域の主食は、というと、東インドネシアで現在も食べられているサゴ椰子の澱粉。これは、かつてはヌサンタラ各地で食べられていた。
カリマンタンのプナンが食するサゴや、西ジャワの内陸の民が食するサゴは、パプアなどのサゴと木は違うが、椰子科の植物の幹から採取した澱粉であることは同じ。

また、バナナの他、芋類は、最も古いタロイモの他、16世紀にポルトガル、もしくはスペインによって持ち込まれたサツマイモ、そして1892年にオランダが持ち込んだキャッサバなどが主食として広く食されていた。

トウモロコシは東ヌサトゥンガラ州などで今もよく食されているが、サツマイモ同様に16世紀にポルトガル/スペインによって持ち込まれ、定着した。

キビの仲間であるソルガムもよく食べられていた。ヌサンタラに伝搬したのは米よりだいぶ以前である可能性が高く、乾燥地でも手をかけずともよく育つので、各地で栽培された。ただ、主要作物として表に出ることは稀であったため、米の浸透と共に忘れ去れられた感がある(近年、食糧危機に対応する植物として意識され始めてはいる)。

で、それらを踏まえ、このヌサンタラにおける、その後スカルノも頭を悩ます事になる、続く政権でさらに悪化し、いま現在も解決されていない、米化の流れです。

うちの猫で一息いれとく?

ねこ

そもそも、ヌサンタラの人々は、それぞれの土地でそれぞれの植生に合わせた食生活を送っていた。
オランダによる植民地化。強制栽培を目的とした農地のとり上げ、地主小作システムの確立。
主に、ジャワとスマトラを中心として行われた。彼らは、稲作を行う農地を失うと共に、手のかかる稲作に割く労力がなく、この期間は米の消費は減少する。代わりに、乾燥地などで手をかけずとも育ちやすいサツマイモ、キャッサバ、トウモロコシなどが代替主食となる。
インドネシア独立(1945年)
国家の独立=食糧(=米)自給を目指し、米の生産量を倍増させたが、人口も倍増。また、一人当たりの消費量も増え、米の充足は達成されない。
植民地時代に米を取り上げられた地域の人々が独立後の国策に中心となったため、食糧=米、とにかく米、米、米を、という米バイアスが拭えなくなったのではないか、というのは個人の感想(でもそうだと思う)。
従来食の見直し。乾燥地帯の活用も視野に入れ、トウモロコシなどの栽培も推奨。食の意識改革を目指して、ムスティカラサの編纂を指示(1961)。
米の値段上昇を抑えられず、初代大統領スカルノ失脚(1967)。かろうじて出版されたムスティカラサだが、国策に反映されることはなく、時期大統領として、スハルト就任。
農村出身のスハルトは「緑の改革」を掲げ、食糧=米の自給を目指す。多様であった在来種を一掃し、品種改良された指定品種+化学肥料+農薬を使った水稲栽培を推奨。他の作物の栽培農地も水田にするよう指示。
そもそも、焼畑による陸稲栽培は在来種の多様性を維持するに向いていたが、水田による水稲栽培はモノカルチャーの走りとも言えるシステムであり、それがさらに指定品種に制限されてしまったことで、米の多様性が失われた。以前は8,000前後あったとされる在来品種も、その多くが失われてしまったと言う。
また、指定品種の種、化学肥料、農薬、などの購入が必要となるため、稲作はお金のかかるものとなる。それが、地主小作の格差拡大を助長したとも考えられる。
経済的自立を求めて外資の参入に非積極的だったスカルノから、外資と協力関係を結ぶスハルトへ移行した結果、大規模な環境破壊が進む。
一例として、カリマンタン。森林の木材を伐採し、日本の商社へ売却。伐採された森は、放置されるか、パーム椰子など商品作物のプランテーションとして使われる。
移動型の狩猟採集民として暮らしていた土地の人々にとっては、生活の場であった森が失われることになる。食の自給が絶たれ、貧困者枠へ入れられ、従来は米食ではなかった彼らに、支援として米を送られるようになる。
定住化を余儀なくされた人々は、商品作物の栽培を行い、それを売ったお金で米を買うようになる。
各地で同様のことが起こる。
政府=ジャワなので、食糧=米なのは変わらず、支援は常に米。
受給側にとっては「国から与えられるもの」「お金を出して買うもの」である米は、従来の食を支えた「採れるもの」より上位のものというイメージがついていく。
結果、特に若い世代から、従来食よりも米食を求める傾向が強くなり、米依存となっていく。
1954年には米を主食とする人は、全国民の53.5%であったが、1981年には81%にまで上昇している。
しかし、従来米食でなかった地域というのは、米栽培に不向きな土地である場合が多い。このため、従来食を捨て米食へ移行するというのは、必然的に地域での食糧自給が低下することになり、購入するか、国から支給される米に依存することになる。
スハルト失脚後も米化の流れは止まらず。
外部からの米、政府支援の米に依存する貧困地域に明確な策はなく、米による食の植民地化とも言われる。
一例として、東スンバの内陸の村。1970年代までは、米(水稲+陸稲)、トウモロコシ、ソルガム、豆などを栽培し、食を賄えていたが、2016年時点で消費は米中心となり、地域の米総消費量125.5トンのうち、収穫で賄えるのはわずが32.5%のみであり、あとは外部に依存するしかないと言う。
地域支援としてのインフラ整備が進むことで、農業従事における労働力が流出する。加えて、消費作物に代わって換金作物を栽培するようになり、収穫物は自分達が食べるのではなく、町へ出て売るものになる。売ったお金で米を買う。
近年、米食は低下傾向。代わりに小麦の消費量が上昇。ただし、小麦は100%輸入のため、自給率はさらに低下することになる。
小麦=インスタント麺
2024年は400万トンの米を輸入すると予測され、これは過去最大の数値。

で、この状況をどうにか見直そうという流れが、冒頭の「現代のムスティカラサ」のムーブメントなのです。

ムスティカラサ

たぶん、こういう流れ、わかっている人はきっとちゃんとわかっていたんだと思うんですがわたしあんまり気づいていなかったんですよね。
パプアで、あんなに美味しいパペダを前にして、子供たちは米を食べたがると聞いて、あんなに豊かにあるサゴ椰子の澱粉より、みんな今は米志向だと聞いて、ようやく「え」となりました。
パペダよりご飯が上なのだろうか?と。

確かに、米は美味しいんです。わたしも日本人なのでそれは認めます。その米のおいしさが中毒性を持つのも確かです。そして、美味しいは、割と全てに優先されるのも事実だと思うので、もうどうしようもないのかな、とも思うのですが。

でも、例えばGI値を比べると、ご飯は80ですが、サゴは40です。
ご飯の方が、サゴより燃焼されやすいので、すぐにお腹がすいてしまうんですね。
加えて、これはメンタワイ島でのデータですが、1時間彼らが働いて得られる収穫としては、サゴは2.6キロなのに対して、米は0.6キロなんです。効率が非常に悪い。
作業効率が悪く、燃費も悪く、かつ自給できないので外部に頼らざるを得ない、そんな米なのに。
というジレンマを感じてしまったのでした。

ムスティカラサ

なので、この一式を調べて、結構満足しました。
それを知って、じゃあ今から何かできるのかといえば、できることはほとんどないでしょうが、それでも、知っているから気付けることっていうのはあるわけですしね。
長々お付き合いありがとうございました。

次はコメの地へ、という計画に変更はありません。


2017/08/20

バンガイ諸島のおやつ

パナダ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

バンガイ諸島のおしまいに、ちょっとおまけのおやつをいくつか。

芋やバナナを揚げたものも立派なおやつですが、その他に、まず写真のパナダ/Panada。
町のお母さんのお姉さん(隣に住んでる)が作って売っているものです。
スラウェシ各地でよく食べられているものらしく、特に沿岸部では魚を使います。

パナダ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

外がカリッと揚がったふかふかで微かに甘いパンの中に、魚のフレークが入っているのです。
お母さんのところで、たっぷりお昼を食べた直後だったので、最初は、
「揚げ物かー、重いなー、食べられるかなー」などと内心思っていたのですが、杞憂で(笑)。
この断面見ただけて、カリッとふかふかを思い出して、ほっぺたの内側がきゅーってなります。

もうひとつ、魚のフレークを具にした揚げ物を。

カンジョリ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

カンジョリ/Kanjoliと呼ばれるこの揚げ菓子、島を移動する船の中で、行商のおばちゃんから買ったものです。
このバンガイ地域の名物らしく、
いつかの独立記念日か何かのイベントで一斉に大量にタンジョリを作り、国内記録を樹立、とかやったそうで。
国内記録と言っても、バンガイの郷土菓子なので、バンガイの記録=国内最高記録なんだと思うんですけどね。

カンジョリ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

小さな俵型のこのカンジョリ、キャッサバの皮で魚のフレークを包んで揚げたものなのです。
キャッサバの澱粉質のお陰でもちもち。
これを、唐辛子と塩だけで作ったシンプルなダブダブ(サンバル)につけて食べるのですが、
止まらない、止まらない。揚げ物なのに、本当に危険なものばかり。
カンジョリは、その美味しさに、戻って来てから試しに作ってみたりしています。

そしてもうひとつ、さらにまた揚げ物なのですが、村のお母さんの手作りドーナツ。

アポロドーナツ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

アポロ、とお父さんは言っていました。Apoloかもしれません。

発酵ドーナツかなと思わせる、弾力のある生地に絡めてあるのは、椰子砂糖。
素朴な甘さと、しっかりとした食べ応えで、朝ごはんに熱いお茶と一緒にいただくと最高。
このドーナツを、お母さんは自家製のココナッツオイルで揚げているのです。
インドネシアで一般的に揚げ油として市販されているのは、パームオイルがほとんどなのですが、
お母さんは、パームは油の後味がよくないからと、揚げ物にはココナッツオイルを使うのだそうです。
お陰で、胃にもたれることなく「もう一つ…」と食べられます(そればっかり)。

ということで、中部スラウェシのバンガイ諸島でお世話になったお母さんたちのごはんでした。

キッチン Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

そもそもこのバンガイ諸島というのは、事前に情報がほとんど見つからなかった地域なのです。
ガイドブックには載ってない、
インターネットで検索しても、英/インドネシア/日本いずれの言語でも漠然とした情報しか出てこない、
仕方ないので、現地に行って聞きながら旅をしようか、という具合で始まったのでした。
最寄りの街の空港に着いた段階では、具体的な地名ひとつ知らず、
港で船の時間を聞くにしても「どこに行くんだ?」と問われ「どこに行けるの?」と答える始末。

鮮魚 Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

そんな中で、出会ったひとから少しずつ情報をもらって、目指すべき島の目星をつけていった感じでした。

バンガイ島に着いて、島内を回りたいと流しのバイクタクシーのおじさんを宿の前で呼び止めたのが始まり。
おじさんがお使いものを届けに一旦家に戻った際に会った奥さんに、料理を教えてもらうことになり、
それが「町のお母さん」。
そのお母さんと市場に魚を買いにいった際、偶然に行き会った義理の家族というおじさんが、
「バンクルンという島の村におれの姉さんがいるから行ってみろ」と勧めてくれて、
携帯の電波すら届かないその村を(なので当然何の連絡も入れず)訪れて泊めてもらったのが、
「漁村のお母さん」の家でした。

唐辛子 Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

行き当たりばったり、流れに身を任せる感じで、縁がつながり出会えたお母さんたちのキッチンでした。

昨日も、町のお母さんから電話がかかって来ました。
「また来なさいねー、一緒にまたオニョッ(パペダ)食べようねー」と。
きっと、お母さんたちは、ことあるごとに、
「日本人に料理教えたのよ」「オニョッ作ってあげたのよ」と、ひとに語って聞かせているのだと思います。
微笑ましく、愛すべき、お母さんたち。

島猫 Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

食べ残したものもまだまだあります。いつかまた、お母さんたちに会いに、島に戻りたいなと思っています。

ということで、バンガイ諸島の食卓はここまで。
長々おつきあいありがとうございました。
町のお母さん、村のお母さん、美味しいごはんをお腹いっぱい、ごちそうさまでした。


2017/08/18

バンガイ諸島の食卓⑥

サランガル Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

島の食卓の、主食のお話を少し。

今でこそ、基本の主食は白米となっていますが、バンガイ諸島は元々稲作の難しい土地です。
一番大きい島の内陸に、ごくごくわずかな面積の水田を目にしましたが、到底地域を賄えるものではなく、
基本的に、米は地域外からの「輸入」となっています。

で、米食が一般化する以前のバンガイ地域のひとたちの主食はなんだったのか。
答えは「芋」なんですね。

ウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

現代の食卓においても、芋はとても大事な存在。

キャッサバ、タロなども並ぶ市場ですが、その中で抜群の存在感を見せていたのがこの大きなずんぐりした芋。
ウビ・バンガイ/Ubi Banggaiと呼ばれる芋です。
バンガイ諸島でしか目にしない品種らしく、遠くマルク地方まで出荷されたりするのだそうです。

ウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

丸みがあって、キャッサバやタロよりずっとなめらかな肌をした芋。

町のお母さんに、主食としてのウビ・バンガイ料理、サランガル/Salanggarを作ってもらいました。

ウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

シャリシャリと外皮をむくと、真っ白で少しぬめりのある身が。
生で齧ってみたところ、ぬめりとシャキシャキした歯ごたえは長芋にも少し似た感じです。

皮を剥いたら、大きめに切り分けます。

ウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

やっぱりまな板は使いません。というか、そもそもないんですけどね。

ウビ・バンガイとロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

で、この日は、ウビ・バンガイと一緒に、ロカ・パウ/Loka Pauと呼ばれる青バナナも入れてくれました。

ロカ・パウもバンガイ地域特有の品種なのだそうで、青い状態で市場に並んでいました。
以前、バナナの話しでも書きましたが、とにかく、バナナの種類が多すぎるんです。
そして、みんな、バナナのことに細かすぎる(笑)。
あのバナナはどうだ、このバナナなはこうだ、それぞれ一家言持っているんですよ。
わたしにしたら「みんなだいたい同じ感じのバナナ!」なんですけどね。

ロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

とは言え、バナナチップス以外で、青バナナを調理するところをみたことがなかったので、いい機会でした。

ロカ/Lokaとは、バンガイの言葉でバナナという意味なんだそうです。
加熱した青いロカ・パオは微かにバナナらしい酸味をもちつつ、確かに芋に似た存在になります。

ロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

ということで、あとでおやつにする分も含めて2房買って来たのでした。

これもしっかりと皮を剥いて、食べやすい大きさに切ります。

ロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

続いて、ココナッツミルクを準備。
たっぷり使います。

ココナッツミルク Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

熟れたココナッツの白い果肉を削り、そこに水を加えてよく揉み出したものがココナッツミルクです。

これを、さきほどのウビ・バンガイとロカ・パオに加え、砂糖適量と塩少々で煮込みます。

サランガル Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

ぶくぶく煮えてきて、アクが出てきますが、ええ、ここでもアクはとらずにそのままです。

サランガル Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

柔らかく煮える頃には、ブクブクしていたアクもどこかに消えて。というか、同化して。

サランガル Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

煮上がったウビ・バンガイは親芋のような感じ。
ココナッツミルクが程よく味に深みを出していて、美味しいです。
これに、魚のスープなどをかけていただきます。

村のお母さんは、サランガルではなく、単に塩水で煮たウビ・バンガイを出してくれました。

茹でウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

これも、美味しいです。飽きがこない、いかにも主食にふさわしい食べ物ですね。

もう一つ、芋類を使った主食枠の食べ物として、シノレ/Sinoleというのがあります。
村のお母さんが作ってくれました。

シノレ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

南スラウェシなどでシノレというと、サゴヤシの澱粉とココナッツを合わせたものを指すようですが、
ここバンガイ諸島では、キャッサバを使います。
バンガイの言葉で、シノレはソレ/Soleと呼ばれるそう。すり下ろす、という意味だそうです。

キャッサバをすり下ろして作るものとして、
以前、南東スラウェシの島々で食べられているカスアミについて書きましたが、
シノレは蒸すのではなく、鍋で炒るようにして火を通すのが特徴です。
キャッサバをすり下ろし、水分を絞って、一旦天日干しで乾燥させ、
その後、ココナッツと混ぜ合わせたら水適量を加えつつ、鉄鍋で火を通していきます。

シノレ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017 

お母さんのシノレには椰子砂糖が少し足してあり、ほんのりとした甘みと炒ってできる微かな焦げ味が美味。
これは、一度、自分の家でもつくってみたいなと思います。

ちなみに、先のカスアミですが、普通はあれこれ混ぜないようなのですが、
砕いた椰子砂糖を混ぜて作った「ククス/Kukus」と呼ばれるものもこの地域で目にしました。

さて、最後に、主食ではないですが、おやつ枠で。
揚げウビ・バンガイと、揚げロカ・パウ。

揚げウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017 

外側カリカリ、中ホクホク。ああこれは危険。

揚げウビ・バンガイ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017 

添えているのは、トラシを使ったダブダブ(バンガイではサンバル全般をダブダブと呼びます)
唐辛子、バワン・メラ、ニンニク、トマト、トラシを炒めて、塩を加えつつ潰していったもの。

そして、揚げロカ・パウ。
まず、皮を剥いたものを、適当な厚みにスライスします。

ロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

3枚くらいですかね。

そして、油でじゅーーー。

揚げロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

きつね色になるまで揚げていきます。
ちなみに、お母さんは「赤くなるまで」と言いました。表現も色いろ。

揚げロカ・パウ Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

赤く揚げ上がった青いロカ・パウ。

これにつけたダブダブ(サンバル)がまた美味しかったのです。
ピーナッツを使ったダブダブ・カチャン。

ダブダブ・カチャン Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

唐辛子、バワン・メラ、ニンニク、トマト、塩に、揚げピーナッツを加えてなめらかに潰します。

それを、油で炒めていきます。

ダブダブ・カチャン Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

じゅーーー。
水分が飛ぶまで、気長に。

ダブダブ・カチャン Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

ほら、美味しそう。

ダブダブ・カチャン Banggai Islands_Central Sulawesi, 2017

ホクホクの揚げロカ・パウに辛味の効いたダブダブ。止まらない、止まらない。

これもまた、自分で作ってみますね。

ウビ・バンガイは4玉ほど買って、バンドンのわが家に持ち帰ってきました。試しに植えてみます。
とりあえず、今夜はウビ・バンガイを入れた豚汁を作ってみるつもりでいるのです。


2017/02/14

キャッサバ/Singkong

キャッサバ(根と葉) Bandung_West Java, 2017

キャッサバを1キロ食べた後でも、米を食べてなきゃここの人たちは「今日はまだ食事してない」って言うのさ。

とは、仲のいい在バンドンの華人の談。
インドネシアの人たちの、お米以外は「食事」と見なさない姿勢を指しています。
(本来はお米が主食じゃない地域もあるんですけどね)
キャッサバは食べるとかなりお腹にどっしり来るのですが、そこをふまえてのジョークです。

キャッサバはインドネシア語でシンコン(Singkong)。
南米原産で、熱帯地方では広く栽培されている植物で、主に食されるのは根の部分。
炭水化物枠でみると、米、トウモロコシに次ぐ3番目の位置にいる、重要なエネルギー源となる作物です。
インドネシアは世界3位の生産量となっています。

挿し木で簡単に増え、乾燥に強くて成長も早い。そしてお腹を満たす。素晴らしいですね。
根っこをそのまま食べる以外に、でんぷん質をとって加工もします。
タピオカパールはこのでんぷん質を球状に成形したもの。
あの美味しいポン・デ・ケージョのモッチリ感も、キャッサバのでんぷん由来です。

キャッサバ(根) Bandung_West Java, 2017

ただ、このキャッサバ、有毒物質を含んでいるのだそうです。それもシアン化合物。
なので、加熱や水洗い等で毒抜きをしてから、もしくは毒のある部位を除いてから、食べることになります。

毒。

って、インドネシアの人たち、意識しているんでしょうかね。あんまりそういう気配がありません。
ざっと調べてみたところ、基本的にインドネシアで栽培されているのは毒性の低い品種らしく、
「食べて甘かったら大丈夫。苦みを感じたら毒のある品種なので食べるのをやめましょう」
と書かれているのも目にしました(食べちゃってるじゃん…とも思うけど)。
なのでインドネシアで食す限りにおいては、毒性はそれほど気にするものではないのかもしれませんね。

※追記
うちのお手伝いさん曰く、この界隈で売られているキャッサバには言われるような毒性はないそうです。
加熱で毒抜き等書きましたが、
ここでは体調悪い子供に擦ったキャッサバ(生)の絞り汁に蜂蜜を加えたものを飲ませることもあるのだそう。
毒性のあるキャッサバ(苦い)もあるはあるけど、品種が異なり最近はもうほとんど売られておらず、
食べるのにも、水に晒したり天日干しをしたりした後に粉末にした後にお菓子等に加工するのだそうです。
毒性のあるキャッサバを食べたら、確かに酔っぱらったようなくらくらした感じはある、と言います。
シアン化合物、くらくら程度で済む物なのかは疑問ですが…汗
とりあえず「キャッサバで人が死んだって話しは聞いたことないよ」とのことです。

そしてキャッサバ、芋類にしては珍しく、収穫してしまってからあまり日持ちがしません。
だんだん黒くなって味も落ちます。
なので、採ってその日に調理してしまうのが理想。買ってきた場合は、なおさらその日のうちに。
(って言いつつ、つい翌日になってしまったりするのですけどね)
あ「皮を剥いて数時間おいたときに青く変色するのは、毒性の高いキャッサバ」というのも書かれてましたね。
判断の参考までに、という感じでしょうか。

キャッサバの強さをしみじみ感じたのは、南東スラウェシのワカトビ諸島に行った時です。

青:ワカトビ諸島

小さな島々が並ぶワカトビ諸島。土壌は石灰質で農耕にはむかず、稲の栽培も行われていません。
そんな島の連なりの一番外側、端っこにあるのがビノンコ島。
ビノンコには太陽がふたつある、と他の島の人たちが言うほどに陽射しがきつく、そして、乾燥した島でした。
他の島々は、決して厚くはないものの堆積した土があり、ちょっとした木立や繁みもある緑の島ですが、
ビノンコは堆積した土が非常に薄く、島の南端近くを除いて、ほぼ石灰石がむき出しの状態。
そんなカラカラな島の主要作物がキャッサバだったのです。

キャッサバ畑 Binongko_Southeast Sulawesi, 2015

ジャワで見慣れたキャッサバ畑と言えば、しっかり葉の繁った青々としたものなのですが、
ビノンコのキャッサバ畑はひょろひょろ。そして、ごつごつとむき出しの岩の上。
その岩の小さなくぼみに挿し木をして、日よけと保水目的で根元付近を枯れ草などで覆います。

キャッサバ畑 Binongko_Southeast Sulawesi, 2015

かりっかりの空気、雨は一年のうち数ヶ月しか降りません。
そんな環境の中でも、このキャッサバたちは育つんです。強いなあ。
例えばジャワのような、肥沃な土地では数ヶ月で収穫できるところ、ビノンコでは1年かかると言います。
地道に気長に、ビノンコのひとたちはせっせとキャッサバを植え、
そして収穫しては、週に3回ある隣の島の市まで船に乗って売りに行きます。

ビノンコに比べればずっと緑が多い他のワカトビの島々では、
それでもこのビノンコのキャッサバ畑ほどに広々と作付けされた土地を見ることはありませんでした。

キャッサバ畑 Binongko_Southeast Sulawesi, 2015

この辺りでは、キャッサバはシンコンではなくウビ・カユ(Ubi Kayu)と呼ばれることが多いようです。
ウビは芋、カユは木を意味します。
ジャワで「ウビ」と言うとサツマイモを指すことが多いのですが、ワカトビでウビと言えば、キャッサバでした。

キャッサバ畑 Binongko_Southeast Sulawesi, 2015

そんなビノンコ島を含め、ワカトビ諸島も今では主食は米(島外から輸入します)ですが、
かつて、この地域で主食とされていたものも、キャッサバでした。
カスアミと呼ばれる、この白いかたまりが、それ。

カスアミ Binongko_Southeast Sulawesi, 2015

削ったキャッサバの水分をぎゅーーーっと絞り、円錐型の型におさめて蒸したものです。
蒸しパンのような見た目ですが、もっとずっと重たくてしっかり食べ応えがあります。

カスアミ Binongko_Southeast Sulawesi, 2015

立ち位置は白米などと同じなので、味付けは特にされていません。
おかず、もしくは汁物と一緒に混ぜてちょっとずつ食べるのですが、これ、海魚の味によく合います。
今では主食は白ご飯に移行してはいますが、ご飯より日持ちがするという理由で、
漁などで長く海上に出る時には、今もカスアミを持っていくことがあるのだと言います。

一般的にこの地域のカスアミは円錐型なのですが、
同じワカトビ諸島のワンチ島にある、バジャウ人集落でみたもの中には円盤型のカスアミも。

カスアミ Wanci_Southeast Sulawesi, 2015

バジャウ人は、フィリピン、マレーシア、インドネシアあたりに広く暮らす海洋民で、
かつては船を住処として自由に海を渡り、狩猟採集生活を行っていたことで知られる民族です。
現在は各地で定住化が進み、このワカトビ諸島はビノンコを除く島々にバジャウ人の海上集落が見られます。
ワンチはその中でも最大級の集落。
このカスアミを売っていたおばちゃんに話しを聞くと、
バジャウのカスアミは円盤型で、ココナッツも入っているのが特徴なのだそうです。

で、思い出したのですが、マレーシアのボルネオ島センポルナのバジャウ人の伝統食に、
このカスアミによく似たものがあるのを聞いたことがあったのでした。
すりおろしたキャッサバの水気を切って細い筒状にして蒸したもの。おかずと一緒に食べるのも同じ。
センポルナではプトゥ/Putuと呼ばれているのだそうです。
センポルナのバジャウとワカトビあたりのバジャウは、同じ民族でも少し違うとも聞いたことがあるのですが、
こういう類似性があると、なんとなくわくわくします。

ちなみにプトゥというと、蒸し菓子としてのクエ・プトゥ(Kue Putu)が思い浮かびます。
東南アジア島嶼部によく見られるこのお菓子は、米粉を竹などの筒を使って円柱形に蒸したもの。
中に椰子砂糖を入れて、食べる時にココナッツをまぶすのが一般的です。
この米粉をキャッサバにかえたのが、センポルナのプトゥのそもそもなのかもしれないですね。
さらにちなみに、この米粉のプトゥはスリランカやインド発祥の食べ物なのだそうです。

脱線しすぎました。キャッサバに話しを戻しましょう。
その食べ方。

まず有毒物質を含むといわれる皮を剥きます。
ナイフを縦に深めに入れて歯を倒し、外側の皮の層をぺりぺりとはがします。

キャッサバ Bandung_West Java, 2017

結構楽しいです、これ。
で、この白い内側の方を調理するわけなのですが、
西ジャワ地方ではこのぺりぺりはがした外皮も食べるのだそうです。

キャッサバ Bandung_West Java, 2017

一番外側の茶色の肌だけははがし、この白い部分をじっくり茹でて柔らかくして、唐辛子などで炒めるのだそう。
わたしはまだ機会がなくて食べていないのですが。

さて、では、剥いた内側の部分の食べ方についていくつか。

インドネシアで一般的なのは、クリピック・シンコン(Keripik Singkong)と呼ばれるチップス。

クリピック・シンコン Bandung_West Java, 2017

ポテトチップスよりも歯ごたえがあって、パリパリパリパリと止まらなくなる危険な食べ物です。
西スマトラのパダン辺りは、このクリピック・シンコンに、
バラドと呼ばれる甘くて辛いタレを絡めたものが名物だったりします。

クリピック・シンコン・バラド Bukittinggi_West Sumatra, 2016

パリパリで辛くってでもちょと甘い。やっぱりこれも、止まらない。危険な食べ物です(笑)。

そして、シンコン・ゴレン(Singkong Goreng)。揚げキャッサバです。

シンコン・ゴレン Bandung_West Java, 2017

あらかじめ蒸すか茹でるかして火を通しておいたキャッサバを塩水(ニンニクも入れると美味しい)に浸け、
その後、外側がカリカリになるまで油で揚げたもの。カリカリほくほくが危険な…(以下略)。

ちょっとおしゃれなカフェ系シンコン・ゴレンも。チーズソースがかかっています。

シンコン・ゴレン Jakarta, 2016

他に、甘いお菓子のように加工されたキャッサバもありますし、先日のタペもキャッサバを加工品になります。

また、根の部分だけでなく葉も、インドネシア各地で野菜としてよく食されています。

キャッサバ(葉) Bandung_West Java, 2017

茹でて和え物にしたり、汁物に入っていたりもしますが、一番シンプルなのはおひたし。
とはいえ、たとえばほうれん草のようにさっと茹でて…では柔らかくならないので加熱時間は十分にとります。
茹で上がりはアクで色が悪くなりがちですが、重曹を適量いれてから茹でるときれいな緑に仕上がります。

キャッサバ(根) Bandung_West Java, 2017

インドネシア各地旅行していて、割とどこででも出会いやすいのがキャッサバ。
カスアミのように主食クラスというのはまだ他では出会っていませんが、
お茶請けのように甘いお菓子になって出てきたり、軽食として揚げられてでてきたり。
またどこかでキャッサバに出会ったら、お知らせしますね。