2018/01/17

西カリマンタンの食卓

チャイ・クエ Pontianak_West Kalimantan, 2018

ということで、前回の記事での予告(?)通り、西カリマンタンのごはんについて。

いやーーー、美味しかった。美味しかったんですよ。美味しかった!で今回は終了していいくらい。
でもそれじゃあ、あれなので、まあまたつらつらと。

その前に、まず西カリマンタンのどの辺りに行ったかと言いますと。



赤丸の南の方がポンティアナク/Pontianakで、北の方がシンカワン/Singkawangです。
インドネシアの端っこ。
シンカワンから北に向かえばすぐにマレーシアとの国境ですし、
海を横切るようにまっすぐ西に線を引けば、首都ジャカルタより近い距離にシンガポールがあります。

西カリマンタンの人口構成のうち華人が占める割合は15%だと言われます。
インドネシアの人口における華人の割合が2〜3%と言われていますので、かなり突出して多い地域です。
そして、ポンティアナクには潮州系が、シンカワンには客家系の華人が多いのが特徴。
いずれも、福建系が多数派を占めるインドネシアにおいては、ちょっと珍しい感じですね。

そんな土地から、潮州系料理の特徴であるとも言われる米粉を用いた料理をまずはご紹介しましょう。

インドネシア語ではクエ、もしくはクウェという音に置き換えられる「粿」の字、
これがライスケーキを意味するのだそうで、福建語だとKoe、潮州語だとGueと読まれるらしいのですが、
この字に由来する名称が次々と出て来ます。
(ちなみに、インドネシア語で、このクエ/Kueとだけ言った場合「お菓子」の意味です)

まずは、クウェ・キア・テン/Kwe Kia Thengという、幅広米麺料理。

クウェ・キア・テン Pontianak_West Kalimantan, 2018

豚肉とモツを使い、ケチャップ・アシンの塩気と旨味がぎゅっとなったスープが絶品。
見た目の印象ほど味が濃いわけではなく、揚げニンニクも香ばしいスープはしっかり飲み切りました。

クウェ・キア・テン Pontianak_West Kalimantan, 2018

半透明のつるんとした米粉麺、その中でも幅の広めなものを使っています。

クウェ・キア・テン Pontianak_West Kalimantan, 2018

ぴらぴらと。

こういう麺はあまりジャワでは見かけない気がしますね。

クウェ・キア・テン Pontianak_West Kalimantan, 2018

ポンティアナク名物と言われているのこの麺料理ですが、
特にスープと具の構成がよく似たものがバンコクにもあると教えてもらいました。
クイジャップ/クイチャップと呼ばれるそうで、
もう少し幅の狭い米麺であるクウェティアウを巻いたものを使う場合が多いのだとか。
ポンティアナクと同じく潮州系の華人が多いバンコクなので、料理が似てくるのでしょうね。

その、クイジャップ/クイチャップに、名前がよく似ていたのが、こちら。

クウェ・チャップ Pontianak_West Kalimantan, 2018

クウェ・チャップ/Kwe Capといいます。
太い米麺(巻いているのではなくて、大きなマカロニのように太くて中央に穴があいている)が特徴ですね。

クウェ・チャップ Pontianak_West Kalimantan, 2018

その太マカロニ状の米麺に、白いとろりとしたスープがかかっています。
これは、米粉を豚スープで溶いたものじゃないかと思うのですが。そして、揚げニンニク。

ここに別添えの具沢山スープを混ぜるなり、交互に食べるなり、します。

クウェ・チャップ Pontianak_West Kalimantan, 2018

なんて具沢山、なんて素晴らしい。
豚肉、レバー、皮、湯葉、ピーマン、ゴーヤ、茹で大豆、厚揚げ、など。
具はたっぷりですが、スープそのものはあっさりめ。臭みもなく、クリアに。

クウェ・チャップ Pontianak_West Kalimantan, 2018

これは、朝ご飯メニューらしく、昼くらいにはお店はが閉まってしまうのです。
これも、ジャワではみかけたことのない麺料理です。

一方で、インドネシア全土で親しまれている米麺と言えば、クウェティアウ/Kwetiau。

クウェティアウ・ゴレン Singkawang_West Kalimantan, 2018

クウェ・キア・テンほどではないのですが、幅の広めな米麺です。
クウェティアウ自体はどこででも食べられますが、
さすが米麺文化圏(?)での炒めクウェティアウ、海鮮や練り物をふんだんに使い、しみじみと美味。

練り物と言えば、インドネシア全土で親しまれている肉団子のバッソ/Baksoという料理があるのですが、
シンカワンで食べたバッソにも、クウェティアウのような、幅広米麺が入っていました。

バッソのクウェティアウ Singkawang_West Kalimantan, 2018

(バッソについては別途また)

そして、麺以外では、チャイ・クエ/Chai Kueと呼ばれる、米粉の皮で野菜を包んだ蒸し餃子のようなもの。

チャイ・クエ Pontianak_West Kalimantan, 2018

チョイパン/Choipanと呼ばれることもあるこの料理も、このポンティアナクからシンカワンの名物。

チャイ・クエ Pontianak_West Kalimantan, 2018

具は、こちらがベンクアン/Bengkuangと呼ばれる根菜を入れたもの。
日本ではヒカマと呼ばれているらしいのですが、シャキシャキとした歯ごたえが美味しいのです。
もうひとつの緑の方は、たっぷりのニラ。
このチャイ・クエという名称の「チャイ」はおそらく「菜」でしょうから「菜粿」なのかな、と思ったり。

チャイ・クエ Pontianak_West Kalimantan, 2018

チャイ・クエはバナナの葉に乗せられて蒸されるのですが、
まず葉っぱにニンニクのオイル(手前の鍋−ニンニクまみれ、笑)を引いてからチャイ・クエを並べ、
蒸し上がったところに、今度は揚げニンニクごとオイルをかけて出されます。

この揚げニンニク使いが心憎い。これも中国系の料理ならではの「旨味」ですよね。
先のクウェ・チャップや、クウェ・キア・テンにも、いい具合に揚げニンニクがトッピングされていました。
インドネシアの料理ではニンニクは割と控えめで、揚げシャロット(バワン・メラ)の方を好んで使います。

そして最後に、もう一つ「クエ」。

クエ・ハンパン/Kue Hampan。
シンカワンのおやつ屋台で大きな円盤状の型にどーんと作られ、小さく切って売られていました。

クエ・ハンパン Singkawang_West Kalimantan, 2018

土台部分が米粉とココナッツミルクを混ぜて蒸したライスケーキ。
そこに、小さな干しえび(インドネシア語でもEbi)と、刻んだ干し大根をトッピングとして乗せたものです。
大根自体がインドネシアの料理ではあまり使われない食材なのですが、
それを干して刻んでいるというのは初めて目にしました。

この蒸しライスケーキ+干しえび、という料理自体は、シンカワンの他、
ポンティアナク、そして南スマトラのバンカ島にも、類似のものがあるのだそうです。
呼び方は、キアム・コ・クエ/Kiam Ko Kue、クエ・ガンドゥス/Kue Gandus、
もしくはタラム・エビ/Talam Ebiと色々なようなのですが、
干し大根を乗せる、というのがシンカワンの特徴なのかなと、推察します。
また、バンカ島もシンカワン同様に客家系華人が多い島らしく、そういう意味で似やすいのかなとも。

というのが、ざっと、米粉料理でした。

クウェ・キア・テン Pontianak_West Kalimantan, 2018

米粉っていうのは、また不思議ですよね。
日本だと、米粉はお菓子で使うくらいでしょうか。インドネシアのジャワ島も基本は製菓で使うイメージです。
一方で、この中国文化圏、特に稲作が盛んな中国南部はこうして麺などの「食事」にも米粉を使います。
さらに、米粉使いの上手さで言ったら、ベトナムは群を抜いてますよね。
この「米粉文化圏」がまた気になるところで、
そのまま加熱して主食になるものを、どうして、わざわざ粉にして加工するんだろう、と思ったり。
そこに別途、粳米と餅、というのもあるわけなのですが。また追々、文献を探してみようと思います。

ということで、西カリマンタンの「粿」料理について、でした。
その他の料理については、また次回。



2018/01/07

インドネシアの華人(メモ)

華人食堂が並ぶ通り Medan_North Sumatra, 2015

「インドネシア料理の中の中国」を見て行く上で、
インドネシア国内の華人について少し知っておいた方がいいように思い、いくつかの本を読みました。
インドネシアもそうですが、中国とひとくちに言っても広大で、その食文化とてひとくくりには出来ないはずで、
そうなると、インドネシア国内の華人たちのルーツをいくらかでも認識しておいたほうが、
先々見て行くのに、わかりやすいかなあと思ったのです。
もちろん、人は移ろい影響しあうものですので、がっちり線引きできる訳ではないという前提で。

今回は、本やその他資料などから拾い読んだ事柄をざっとまとめたメモとしての記事です。
(なので、文字と地図ばかりの記事になります、笑)
インドネシアの地図上に、中国からの移民たちの広がりのイメージをざっと重ねる感じで。
また、あくまで調べ始めのメモ記事ということで、後から訂正追記もあると思います。
もし何か気づいた点があれば、ご指摘くださいね。

2016年時点でインドネシアの総人口は2億6千万人を超え、うち華人が占める割合は2〜3%と言われます。
5~700万人規模の華人がインドネシアに暮らしているわけですが、
これは、タイ、マレーシアを凌ぐ、世界最大規模になるのだそうです。
インドネシアの華人たちは、特に20世紀の後半に政治的な力で抑圧されていた時代があり、
中国語の学習や表記の禁止や、同化政策、幾度かの暴動の標的にされるなど、苦しい時代を経ています。
1998年の政変後に進んだ民主化の流れの中、華人たちへの制限が取り払われてゆき、
2003年には旧正月(イムレック/Imlek)がインドネシアの国民の祝日と認定されて、
名実共に、共和国を構成する一民族として受け入れられたと言えるのではないかと思います。

インドネシア華人の中で一番多いのは福建人。続いて、客家人、広東人、潮州人、わずかに海南人。

A:ジャカルタ
B:福建省
C:広東省
D:海南島
E:バンコク
F:マラッカ
G:シンガポール

中国からの移民全体を見ても、
東南アジアなど南方への移民の多くは、華南地方と呼ばれる中国南部の沿岸都市の出身が多く、
中でも福建省は、政府公認の貿易港である広州を持つ広東省と異なり、外国船の寄港も少なかったことから、
海外貿易を求める人々は、自らが出て行かざるを得なかったという背景があるようです。
なので、福建人はかなり初期から東南アジア諸国へ移住、
交易地として好条件であるマニラ、シンガポール、マレー、タイ南部などに基盤を築き、
15世紀には、マレーシア西部のマラッカなどにおいて一大勢力となっていたのだそうです。

この流れは、インドネシアも例外ではなく、南スマトラのパレンバンや東ジャワのトゥバンなどでは、
その当時、既に多くの福建系華人たちが居住していたようです。

1.パレンバン
2.トゥバン

ちなみに、記録に残っている中国からインドネシア地域への移住の最も古いものは900年代で、
その頃には、このパレンバンには既に華人たちが定住し、農業に従事していたという資料があるそうです。

初期の移民たちは、これらの土地以外にも、交易の地の利のいい土地(ジャワ島北岸など)に定住、
現地への融合も進み、例えばジャワで商業に従事していた華人たちは、
日常でも家庭内でも現地の言葉(ジャワ語やスンダ語)を用いることが多く、
結果、出身地である福建語等の言葉を話せる者は少なくなっていったのだと言います。

華南地方からの移民は19世紀後半、オランダ植民地下の労働力として再び増加。
この時代の華人、特にスマトラに定住した華人たちは出身地の言語や文化を比較的維持したと言います。
北スマトラ最大の都市、メダンは現在も華人文化の影響を随所に見ることができる街で、
この街出身の華人曰く、メダンで福建語が話せないと商売にならない、のだそうです。
メダンの華人の全てが福建系というわけではないはずなので、ここで言う「福建語」とは、
共通語という扱いで、地元華人の中で最も比率の高かった彼らの言語が採用されたのでしょう

これに限らず、福建系華人はインドネシア全土に広く居住しており、
スマトラ島、ジャワ島の他、南カリマンタンのバンジャルマシン、南スラウェシのマカッサル、
そしてマルク諸島のアンボンまで、その範囲は広がります。

A:スマトラ島
B:ジャワ島
C:カリマンタン(ボルネオ)島
D:スラウェシ島
3:メダン
4:バンジャルマシン
5:マカッサル
6:アンボン

インドネシア各地の中国由来の食べ物の名前が、福建語の音に基づいているのも、
この広範囲に渡る定住ゆえなのでしょう。

また、福建同様、海外への移住者を多く出したのが広東省。
インドネシアで広東系華人が多いのは、ジャワのジャカルタ、バンドン、スラバヤだそうです。

7:ジャカルタ
8:バンドン
9:スラバヤ

とはいえジャカルタなどは、インドネシア国内でも最大の華人人口を抱える首都ですし、
色んな土地からの出身者たちが集まっているでしょうから、
この広東系華人については、わたしの中ではまだ漠然としています。

そして、シンガポールに近いスマトラ島のペカンバルとバタム島には、海南島出身華人の定住が見られるそう。
海南人たちは、かつて、主に英国領において料理人として働いていた場合が多く、
なので、元英領であるシンガポールから海峡を渡ってすぐのバタムやペカンバルというのは、納得。
ただ、北スラウェシのマナドも海南華人が多いというのを見かけ、
そこだけはなんだか脈絡のない点のようにも思えます。いずれ現地で確かめてみたいですね。

10:ペカンバル
11:バタム島
12:マナド

緩やかに流入して来た初期の商業従事者としての華人に対し、
19世紀半からの植民地支配下での労働者としての移民は、各地に急激な華人人口の増加をもたらしたわけですが、
その流れとは別で、オランダ入植以前からインドネシアに労働力として移り住んで来た華人たちがいます。
それが、客家。インドネシアの華人人口の中で2番目の比率を占めるひとたちですね。

福建省や広東省あたりの、やや内陸側の山間部に暮らす民族が客家人。
彼らは、鉱山開発の労働力として、インドネシアに早くから移住して来ていました。

まず、西カリマンタンのシンカワン。
ここの金鉱開発に関わっていたのが、18世紀半ばに移住して来た客家人たち。
「労働力として」と書きましたが、シンカワンの客家人たちは、独立した自助集団を形成し、
それゆえ、現地政府に支配されることもなく、出身地の言葉や習慣を色濃く残したのだと言います。
そのためか、1980年代に入ってシンカワン周辺からジャカルタへの移動が活発であった時期、
インドネシア語をほとんど話さないシンカワン華人集団は、本国からの密入国者と疑われたこともあったとか。
融合政策下でインドネシア化が進んでいたジャカルタの華人たちの中では、かなり異色な集団だったのでしょう。
現在は、このシンカワン系華人、ジャカルタの華人たちの中でも人口規模の多い集団となっているようです。
この他、19世紀半ばから開発が進んだバンカ・ブリトゥンの錫鉱にも客家人が関わっており、
これらの土地にも、客家系華人が多く暮らしているのだそう。

13:シンカワン
14:バンカ・ブリトゥン

突出しているのはこれらの土地ですが、客家系華人たちも福建系華人同様、インドネシア各地に定住しています。

そして、最後に潮州系の華人たち。
広東省の北部沿岸出身の潮州人たちですが、潮州系華人というとバンコクというイメージがあります。
インドネシアで潮州系の華人が多く定住しているのは、
西カリマンタンのポンティアナク、リアウ諸島、スマトラ南東部のジャンビ、など。

彼らは商業に従事しつつ、
ポンティアナクからリアウ諸島、そしてシンガポールまで広い行動領域を持って自ら交易を行ったそうです。
潮州系華人が多い都市に、ジャワ北岸のスマランが上がっているのも目にしたのですが、
なんか「んん?」という感じです。脈絡ない気がして。

15:ポンティアナク
16:リアウ諸島
17:ジャンビ
18:スマラン

すこし引いて、東南アジア東部の華人たちの出身をみてみると、
タイは潮州人、マレーシア半島部、シンガポール、インドネシア、フィリピンは福建人、
インドシナ及び、マレーシア領ボルネオでは広東人、が上位にくるようです。

と、まあ、華人研究が第一目的ではないので、今の時点ではざっとこんな感じで。
このページは引き続き、訂正追記していきたいと思います。
当然ですが、この範囲を超えてインドネシア全土に華人たちは根を張って暮らしています。
ただ、このくらいのイメージを頭の中においておいたら、
各地の料理の中にある中国からの影響というのを掬いやすくなるかなという感じで。

客家麺の表示 Medan_North Sumatra, 2015

ということで、来週は、
潮州系華人の多く暮らすとというポンティアナクと、その北のシンカワンに行ってみる予定です。
戻って来たら、また。

2018/01/06

インドネシア料理の中の中国

ナシ・ゴレン Bandung_West Java, 2018

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
今年も健やかで美味しい一年がすごせますように。

のんびり更新ながら、インドネシアごはんについて書き続けているこのブログですが、
今年のごはん活動は「インドネシア料理の中の中国」をテーマにしていきたいなと思っています。
(その他のインドネシアごはんも、もちろんおろそかにしませんよ)

一般的に「インドネシア料理と言えば?」と問われたら、
まず真っ先に名前が挙がるのは「ナシ・ゴレン」だと思います(ですよね?)。
これは、ナシ/Nasi=ごはん、ゴレン/Goreng=揚げ(油調理)で、つまりインドネシア版炒飯なのです。
当然、そのルーツは中国。
10世紀頃にはインドネシアの一部に伝わっていたと言われています。

ミー・ゴレン(ミー/Mie=麺)も同様。焼きそばですね。

屋台のミーゴレン Jakarta_2016

これまで記事にしてきた豆腐は言うまでもなく、色んなスープ(ソト/Soto)たちや、
調味料のケチャップタウチョも、ルーツはいずれも中国にありました。

インドネシアでの中国料理には、まず「中華料理」らしいもの(変な言い方ですが)があります。

中華料理店のサイン Bandung_West Java, 2016

その他のひとも食べるけど、やっぱり華人のお客さんが多いよね、という感じのものですね。

そういう「中華料理」の例として、まずはクオ・ティエ/Kuo Tie。餃子です。

クオティエ Bandung_West Java, 2016

たっぷりの油で揚げ焼きにしたのだったり、茹でだったり。
美味しいですよねえ(大好物)。

クオティエ Bandung_West Java, 2016

わが家がよく買いに行くクオティエ屋さんは、ニラがたっぷり。
「華人の店主がこれがオリジナルだっていうからね。やっぱこの香りだよね」
とは、せっせと包んでいたおじさんの談。

ちなみに、クオティエ屋さんは「山東」の名を冠した店名が多い気がします。
餃子で有名なのでしょうか、山東省。

それから、ナシ・チャンプル/Nasi Campurと呼ばれる、豚肉乗せごはん。

ナシ・チャンプル Jakarta_2017

チャーシューだったりカリカリ三枚肉だったりが乗ったご飯です。
(バリのナシ・チャンプルとはまた違うものです)

同様に豚肉を使ったごはんで、バッチャン/Bakcangというのもあります。

バッチャン Bandung_West Java, 2017

見ての通り、ちまきです。

バッチャンという呼称は、福建語の「肉粽」に由来するそうです。
豚肉を表すBakは、シンガポールやマレーシアで有名なバクテー/肉骨茶などでもみられる音ですね。

バッチャン Bandung_West Java, 2017

これは餅米を使ったバッチャン。普通のお米のもあります。
中に、しっかり味付けのされた豚肉が入っていて、とてもジューシー。

これらの「中華料理」の一方、中国由来とはいいつつも広く一般に親しまれているものもあります。

まずは、バンドン名物と言われている、シオマイ/Siomay。

シオマイ Bandung_West Java, 2017

音から推察できるとおり、シュウマイです。

わたしたちがイメージするシュウマイは豚肉ですが、イスラム教徒の多い土地に適応し、
魚肉や鶏肉を使ったものが主で、そこにタピオカ等のデンプンを合わせて練ったものが餡になります。
皮も、いわゆるシュウマイの皮らしい小麦粉からの皮にかぎらず、豆腐に挟んでいたり色々。
これらを蒸して、ゆで玉子や、ジャガイモ、ゴーヤなどの野菜の蒸したものと一緒に、
ピーナッツソースをかけていただきます。
小腹がすいたときのちょっとしたおやつとして人気です。

それから、ナシ・ティム/Nasi Tim。これも、インドネシアン・チャイニーズの料理に挙げられます。

ナシ・ティム Bandung_West Java, 2017

ティムはスチームを意味し、お米と味付きの鶏肉を型に入れて蒸したもの。
写真のものは鶏肉が中に入っているタイプですが、天面に敷き詰めてあるものも多いです。
(ちょっとプリンみたいなビジュアルになります)

ナシ・ティム Bandung_West Java, 2017

鶏出汁のしみた、滋味深い味。
シンガポールの海南鶏飯などと同じルーツじゃないかと思います。

それから、バッパオ。

バッパオ Bandung_West Java, 2018

バッチャンと同じ、Bakの音。肉包、つまり豚まん。

華人の多く住むエリアで売られているバッパオは、その名の通り、中の具は豚が基本になります。
甘いものは、タウサ(豆沙)と呼ばれる緑豆などの豆餡に鉄を加えて黒くしたもの。

このバッパオは屋台引きの商品の一つとして、特に夕暮れ時から夜にかけて、一般の街中でもよくみかけます。

バッパオ売り Bandung_West Java, 2018

ジャカルタなどで、ちょうど会社帰りの頃合い、渋滞する道路の脇にバッパオ売りをよく見かけます。
彼らの売っているバッパオの具は鶏。Bakは名だけになり、ムスリムにも安心な食べ物になっています。
甘い方は、黒くない普通の緑豆餡、チョコなど。

名だけになっているBakと言えば、バッピア/Bakpiaもあります。
中部ジャワのジョクジャカルタを始め、旅行のお土産ものとしては人気上位にくるスイーツ。

バッピア Jogjakarta_Central Java, 2016

パイ生地のような層になった皮で、甘い餡を包み焼いたお菓子。
バッピアのピアは、小麦粉の皮でくるんだ食べ物を表す福建語のPia=餅から来ているそうです。
つまり、肉餅なわけですが、インドネシアのバッピアの中身は緑豆餡(チョコやチーズ味も)。
ローカライズされて、広く親しまれるようになった中国の食べ物のひとつですね。

ピアつながりで、もうひとつ、
東ヌサトゥンガラ諸島の山間の町ルテンの名物にコンピアン/Kompiangというものがあります。

コンピアン Ruteng_East Nusa Tenggara, 2016

スペルは、Kompyangもしくは、Kompiahとも。ピアです、ピア。
写真のものは豚肉入りですが、具のないプレーンなものもあり、まぶした胡麻が美味しい素朴なパンです。
マレーシアのサラワクにあるシブというところでもコンピアンが名物と聞いたことがありますが、
これはそもそも、福建の福州市に起源がある食べ物なのだそうです。
オリジナルのものは、もっと薄く平たい丸形のようで、やはり豚餡などが入っているのだとか。

このコンピアン、ルテンの町に行ったらマストな食べ物で、
ルテン出身のひとは、里帰りした際に大量に買い込み各々の場所に持って帰ると聞きます。
素晴らしい浸透っぷり。

もうひとつ、わたしの大好物のスイーツを。ロンデ/Rondeです。

ロンデ・ジャへ Bandung_West Java, 2017

餅米で作った団子(ロンデ)が、生姜の利いた椰子砂糖のシロップに浮かぶ甘い温かいおやつ。
ロンデ・ジャへ/Ronde Jaheもしくは、ウェダン・ロンデ/Wedang Rondeと呼ばれます。
これも、ここバンドンで好まれる食べ物です。
もちもちっとした小粒のロンデと、中にピーナッツ粉が入った大粒のロンデで小腹を満たし、
食べ終わる頃には生姜で身体もぽかぽかになります。
このロンデはを華人たちはお祝い事のあった時に、そして冬至の日に食べるのだといいます。
(わたしはいつでも食べたいです)

と、ぱっと思いつく限りの、身近な中国由来の食べ物を挙げてみましたが、
まだまだ他にも、色々あるのだと思います。

ここしばらく、主に東南アジアの華人に関する本を続けて読んでいたのですが、
その中に、
「居住地志向が低いマレー華人、現地との同化が進んでいるタイ華人、現地と混合しているインドネシア華人」
というのがありました。
マレーシアの現状をわたしは知らないのでなんとも言えませんが、
タイの華人の同化はよく耳にしますし、現地に住んでいる友人もそう言います。
そして、インドネシアの華人の、同化とはいかないまでも混ざり合っている感じは、その通りという印象。

豚のせ中華粥 Jakarta_2017

そしてそれは、インドネシアにおける中国料理も同様なのではないかな、と。

友人の華人たちと話していて「中国本土の中華料理は美味しくない」という話題が出たことがありました。
「インドネシアの中華料理の方がずっと旨いぞ」と。
それは、本土の料理が美味しくないのではなく、
ここに暮らす華人である彼らの味覚が違うのではないかとわたしは思うのです。

インドネシアに移り住んで何世代か、その間に味覚は現地化してきたのでしょうし、
食材も、この土地では手に入らないもの、そしてこの土地ならではのものがあり、
それらを組み合わせ、この土地の「中華料理」はインドネシアンチャイニーズの味になっているのです。
インドネシアにあるそれらの料理たちを、オリジナルと照らし合わせる術はないですが、
(それをやるには、中国はバラエティに富みすぎています…笑)
彼らがこうも自信を持って「旨い!」と言い切るインドネシアンチャイニーズを、
今後、深く知って、というか味わって、いきたいなと思っています。

最後に、いくつか地名を出したので、地図をつけておきますね。


1:ジャカルタ
2:バンドン
3:ジョグジャカルタ
4:ルテン