2024/07/11

パプアの食卓③:焼き石で調理

石を焼く Baliem_Papua, 2024

ということで、山のパプアでの伝統的な調理方法を見せてもらいました。

あの、先に、この時は、デモンストレーション的なものとして、
ある家族が、彼らの衣装を身につけ、彼らが元々やっていたやり方でプロセス一式を見せてくれたもので、
わたしたちの普段の基準からしたら、その姿は半裸とも言えるものだったりはするのですが、
そこで隠したり、なんならぼかしを入れてみたりというのは、まったく品がないし、
なにより、彼らに対する敬意を欠くことだと思うので、写真はそのまま載せています。
ご理解とご了承のほど、お願いいたします。

ということで、調理法。

パプアの高地というのは、石器時代に一番近い地域だとも言われているほどで、
多くの山の人々のにとって、外の世界との本格的なコンタクトは第二次大戦後であり、
それ以前は、金属との接点もなかったような地域も珍しくないと言われます。
それゆえに、今でも、まだその当時の手法が「伝統」という形で見られるのが面白いところ。
「器」というものを持たなかった彼らは、穴と石を使って調理をしていました。

調理を始めるファーストステップは、火をおこすこと。
直径3cmほどの枝を半分ほどまで割って石をかませたものに、紐状のロタンをこすりつけ、
その摩擦で熱をおこして着火するというやりかた。
下には十分にほぐした藁を敷いておき、着火しやすいように乾いた小枝なども用意しておきます。
プロセスを動画に撮っていて、それがわかりやすかったのだけど、
リンクを貼るのにYouTubeにアップしたら、一瞬で削除されました(もー、涙)。
ので、写真で。

火をおこす Baliem_Papua, 2024

火をおこす Baliem_Papua, 2024

火をおこす Baliem_Papua, 2024

火をおこす Baliem_Papua, 2024

着火して最初にするのは、男女とも大人たちがタバコをまきまきして一服つけることでした。

一服 Baliem_Papua, 2024

一服つけつつ、火がちゃんと安定するのを待って、調理準備の開始です。

まずは、たくさんの石を焼きます。
薪と石を交互に重ね、ガシガシと焼いていきます。

石を焼く Baliem_Papua, 2024

並行して、豚の準備を。

豚 Baliem_Papua, 2024

ちょっとここで、豚の話を。

バリエム渓谷では、基本的に家畜といえば豚一択です。豚は家畜であり、財産であり、ある意味家族。
(盆地の町のあたりでは、ジャワからの人々の影響もあり牛や山羊なども飼われ始めていますが)
祝い事に、弔い事に、もしくは何かの償いに、豚は常に贈られ、求められるもの。
気軽に屠殺して食べるものではなく、その時のために、たっぷり太らせて飼育しているのです。
取引価格も高く、大きな豚では2〜3,000万ルピア(20〜30万円)で市場で売買されているそう。
生まれた子豚に母豚が乳をやらない場合は、飼い主家族の中で授乳中の女性が、豚にも乳をやると言われますし、
畑で採れた芋は、人間と豚で分け合って食べるのだそうです。

豚 Baliem_Papua, 2024

ちなみに、牛は、
放し飼いにすれば畑の作物を食べてしまうし、囲えば毎日大量の草を採る必要がでるしで好まれないそう。
その点豚は、人と同じものを食べさせればいいし、食用としての肉だけでなく、骨は道具の材料となり、
そして豚の脂は、かつては防寒目的で肌に塗るのに使われてもいたりと、有用な生き物だとされていたのです。
なお、鶏は、小さすぎて犬(や、やんちゃな若者)にすぐ盗まれるので飼うという選択肢はないそう。

また、川の魚は?と思うのですが、2〜30年ほど前まで、パプアの山の民は水を畏れていたのだといいます。
精霊のようなものなのかな。
なので、水とのコンタクトというのは最小限らしく、なにしろ水浴びをする習慣もなかったというくらいで、
きれいな川が流れていても、そこで獲物を取るという発想はなかったのだそう。

豚の準備に話を戻して。

まずは、弓で心臓を射って殺した豚を、石を焼くのに燃え上がっている火のところまで運び、
そこで直火にかけて毛を焼きます。
毛を焼き切った後は、竹を削いで作ったナイフ(結構よく切れる)で解体。
豚仕事は基本、男性の仕事。

豚の解体 Baliem_Papua, 2024

お肉はそのまま焼きますが、内臓はやはりきれいにする必要があります。
そこは子供たちの仕事。胃や腸を水流まで持って行って洗います。

内臓を洗う Baliem_Papua, 2024

内臓を洗う Baliem_Papua, 2024

子供たちが内臓を洗っている頃、女性たちは葉物を準備。とにかく大量の葉っぱを用意します。
バナナの葉、シダの葉、芋の葉、雑草として生えている草。

芋の葉 Baliem_Papua, 2024

シダの葉 Baliem_Papua, 2024

そうこうしているうちに、石を焼いていた火が落ち着き、調理のスタート。
焼いた石で、全てを蒸し焼きにしていくのです。

庭の一角に、深さ30cmほどの穴が掘られています。
そこに、葉っぱを敷き、芋を埋め、さらに葉っぱを乗せ、豚を乗せ、さらにさらに葉っぱを乗せ、
その合間ごとに、焼けた石を並べていきます。

蒸し焼きの準備 Baliem_Papua, 2024

焼いた石 Baliem_Papua, 2024

蒸し焼きの準備 Baliem_Papua, 2024

そして最後に、たっぷりの湿った雑草たちを、蒸気を逃がさないように重ねられるだけ重ね、
ロタンでぐるぐると巻いて、中の密度を高めます。

蒸し焼きの準備 Baliem_Papua, 2024

蒸し焼きの準備 Baliem_Papua, 2024

そして待つこと、1時間半。くらいだったかな。
いざ解体。

蒸し上がり Baliem_Papua, 2024

湯気ぶわー。

覆いとして使っていた食べる用ではない葉っぱたちをわっさわっさと避けてゆき、間の石をぽいぽいと放り出します。
この石、1時間半使った後でも、まだ結構熱いんです。ずっとは持っていられないくらいに。蓄熱すごい。

蒸し上がり Baliem_Papua, 2024

蒸し上がり Baliem_Papua, 2024

これが蒸し上がった豚。
たくさんの葉っぱに包まれて蒸された豚肉は、爽やかな香りが移っていて美味しかったです。

蒸し上がり Baliem_Papua, 2024

蒸し上がり Baliem_Papua, 2024

豚の下をさらに掘り進むと、出て来ました、芋の層。みっしりきれいに並べられています。

蒸し上がり Baliem_Papua, 2024

いろんな種類のサツマイモ。白いのや、オレンジの、紫の。大きいのや小さいの、ぜーんぶ。
そして、芋の層の下には、葉っぱの層。
シダの葉などは柔らかい部分を指でこそげて、そのままいただきます。
すっかり柔らかくなっていて、クセのない優しい味。

蒸し上がり Baliem_Papua, 2024

食事風景 Baliem_Papua, 2024

葉っぱの層が出たら、女性たちもその場に車座になり、食事開始。
芋を食べ、葉っぱを食べ、一緒に放り込んでたトウモロコシやハヤトウリなども食べます。

芋 Baliem_Papua, 2024

一方、豚は。

男性陣の方にまるっと持っていかれ(少々の野菜と共に)、
そこから一部はまた女性たちの円陣に戻されたのだけど、
なんか、男は肉ばかり食べて、女は芋と野菜ばかり食べている感は否めない。

肉の陣 Baliem_Papua, 2024

食事は男女別々なのが基本のようでもあり、その分配にも何かしらの意味合いはあるのかもですが。

この、焼き石を使った穴での調理は、今では特別な時限定のもの。
普段は、中の台所で鍋を使ったり、外で調理する際もドラム缶などを用いて、合理的に調理しています。
とはいえ、例えばあの火をおこす作業とか、若い世代が技術として受け継いでいけるのかを思うと、
デモンストレーションとはいえ、見ておけてよかったなとも思います。

蒸し上がり Baliem_Papua, 2024

ところで、この調理、味付けがないんです。
豚の陣(男性側)には、買って来た塩が一袋置かれていましたが、
女性たちはその塩すら使わず、蒸し上がった野菜と芋と肉をそのまま食べていたのです。
そのままでも美味しい、というのはもちろんそうなのですが、
海から遠く離れた内陸の山地、塩はかつてとてもとても貴重なものだったのだと言います。

その塩についての話を、次回。

2024/07/10

パプアの食卓②:芋食

蒸しサツマイモ Baliem_Papua, 2024
 
芋の話をしよう。

パプアの、特に山のパプアでは芋が主食です。
たくさん芋を栽培し、たくさんたくさん芋を食べます。

芋主食の地域というのはパプアに限ったものではなく、例えば、太平洋の島々にも多く見られる食文化です。
ハワイの先住民たちもタロイモを主食にしていたと言いますしね。
ジャワやスマトラなどのインドネシア西部は、中国やインド、アラブなどの影響を強く感じますが、
パプアに来ると、この先の東方に広がる太平洋の島々の文化圏にいるんだなと感じます。
(地域分類としては、パプアはメラネシアに入ります)

庭先のタロイモ Baliem_Papua, 2024

山のパプアで最初に栽培され始めた芋も、タロイモだと言われています。6,000年前と推定されるとか。
タロイモはパプアではケラディ/Keladi、インドネシア語だとタラス/Talasと呼ばれます。
日本の里芋もタロイモの仲間ですし、タロイモはアジアで広くよく食されていますね。
ちなみに、カリマンタンのポンティアナク/Pontianakの細切りタラスを揚げたお菓子は、わたしの大好物です。

パプアの高地、現在もタロイモ栽培は見られますが、圧倒的主流はサツマイモです。

収穫されたサツマイモ Baliem_Papua, 2024

パプアでサツマイモが栽培され始めたのは300年ほど前ではないかと言われています。
タロイモと比べたら、圧倒的にニューカマー。
ですが、土地に合ったのでしょう、現在このバリエム渓谷には39種類のサツマイモがあるのだとか。
ワメナの市場にはゴロゴロとサツマイモが並び、タロイモは負け気味。
むしろ、サツマイモよりさらに新しく入ってきたキャッサバの方がタロイモより多いかも?というくらい。

市場のサツマイモ Wamena_Papua, 2024

市場のキャッサバ芋 Wamena_Papua, 2024

キャッサバはどんな土地でもよく育つ心強い芋なので、浸透が早いのも納得です。

バリエム渓谷 Baliem_Papua, 2024

バリエム渓谷は高地に広がる盆地。
耕作に適した土壌であることからあちこちに畑がみられます。
とにかく芋作。そしてその隙間に他の葉野菜などを植えています。

タロイモ畑 Baliem_Papua, 2024

サツマイモ畑 Baliem_Papua, 2024

盛り土をして周辺に水路を切る形態が多く見られました。
サツマイモは水はけを好むので、こういう形になったのだと思われます。

みんな、ここの土はとても肥沃だから、肥料などをあげずともなんでも良く育つのだといいます。
「肥料がいらない」をとても強調するのです。
これは、サツマイモは過剰に追肥された畑ではむしろ育ちにくいという話とも一致します。

畑 Baliem_Papua, 2024

この畑は、サツマイモとタロイモを混在させ、周辺に葉野菜、バナナ、タコの木の一種などを植えています。
番犬もいる、いい畑だなあと思います。

が、この地域の人たちは、こういう盆地の畑より、山の斜面の畑の方がいいのだと言います。
耕作は大変ですが、斜面の方が水がたまらないので、芋の味が良くなるのだそう。

バリエム渓谷山側 Baliem_Papua, 2024

この景色も、実は、手前や向こうの斜面が開墾されているんです。
山の畑は盆地のように水路を切ったりはしないので、遠目だと草原とあまり区別がつきませんね。

山の畑 Baliem_Papua, 2024

家の周りを広く開墾していました。わしゃわしゃ見えるのはサトウキビ。
サトウキビもこの地域でたくさん栽培されています。砂糖に精製するのではなく、そのまま齧ります。

山側では、家屋の周辺の耕地以外に、斜面を焼畑で開墾することも多いそう。
3〜4年で移動するという話しでしたが、訪れた集落の持つ畑は既に9年目だと言われました。

農地を焼く煙 Baliem_Papua, 2024

山のパプアでサツマイモは、人々の日々の食事だけではなく、彼らの大事な財産である豚の食糧にもなります。
人と同じものを与え、しっかり太らせることで豚の価値は上がっていくのです。

サツマイモ収穫 Baliem_Papua, 2024

このおじいさんのサツマイモ。すごく大きくて立派でした。
「大きいねえ!」と感心していたら、その場で小さく切り分け、豚小屋にいる豚に全部あげてしまいました。

芋を大きく育てる手法というのは、インドネシア政府の農業指導のようです。
地を這って広がっていくサツマイモの茎を、高く引き上げてあげることで脇芽から芋ができることを防ぎ、
結果、地中の芋にしっかり栄養がいって大きく育つのだそう。

引き上げられたサツマイモの茎 Baliem_Papua, 2024

おじいさんの畑も、そのやり方に従っていました。
うちの庭のサツマイモは地を這いっぱなしにしているので、ちょっとやり方変えてみようと思います。
ちなみに、サツマイモの葉も、彼らの食卓に頻出する野菜です。

サツマイモのない暮らしなんて考えられないというほど、人々の暮らしに浸透しているサツマイモ。
サツマイモの原産地は南米です(ペルー説とメキシコ説があるようです)。
南米からスペイン人の手によって、ヨーロッパ、アフリカ、アジア各地へと運ばれ、
それが東南アジア島嶼部に至り、時間をかけてパプアの高地にも届いたというのが定説です。

斜面の農地と家 Baliem_Papua, 2024

ですが、それよりずっと以前に、
太平洋の人々によってパプアにサツマイモがもたらされていたのではないか、という説があるんです。

秀でた航海術を乗っていたポリネシアの人々が、コロンブス到達より以前から南米と交易し、
まずはマルケサス諸島にサツマイモが入り、それが数百年をかけてハワイやイースターなど、
マルケサスより西方の島々に伝わっていったルートがあると言われています。
現時点では、そのルートがパプアを含むメラネシアに達していたという確証はないのですが、
ポリネシア人たちが文字を持たない人々であったために記録がないのであって、可能性はあるのではないか、と。

あくまでまだ仮説ですが、夢がありますよね。太平洋を渡ってやってきたサツマイモ。

茹でサツマイモ Baliem_Papua, 2024

パプアのサツマイモ、とても美味しいのです。
ジャワなどから輸入されてきたグレードの低い米よりも、ずっとずっと幸福になる味でした。

ということで、次回は、この山のパプアの伝統的な調理方法(含む芋)について。

2024/07/09

パプアの食卓①

石焼調理 Wamena_Papua, 2024

パプアに行ってきました。
インドネシア国内旅として最遠を更新。
ほぼ東の端っこ、ジャヤプラ/Jayapuraという街と、内陸のバリエム/Baliem渓谷という高地を訪れました。

青:ジャカルタ 赤:バリエム渓谷(内陸)とジャヤプラ(沿岸)

パプアというのは、インドネシア東端にあるニューギニア島の西半分を指します。
東半分はパプア・ニューギニアという別の国ですね。
インドネシア側の西半分だけで、日本の国土とほぼ同じだけの面積があり、
首都のジャカルタからジャヤプラは直線距離で約3,780km、
ジャヤプラからバリエム渓谷のワメナ/Wamenaという町まで直線距離で約250kmです。

島の北岸にあるジャヤプラに対し、3〜4,000m級の山々に囲まれたバリエム渓谷は標高2,000m前後の高地。
低地沿岸部の街ジャヤプラから飛行機で飛び立ち、
人の気配が感じられない、見渡す限りの緑の絨毯のような森と蛇行する川を見下ろしながら飛んで行くと、
突然高い山々が現れ、同時に道や集落が見え始めます。

Papua, 2024

Papua, 2024

Papua, 2024

このニューギニア島の高地、世界の農耕起源地のひとつだと言われています。
読んだ本(→)によると、1万年前には人為的な森林開墾が始まったと考えられているのだとか。
本の中で示されているのは、パプア・ニューギニアの西部高地の事例ですが、
インドネシア側のパプア高地でもそれは大きく違わないと思われます。
バナナやタロはこの地域から栽培が始まった可能性があるのだそうです。

Wamena_Papua, 2024

高地パプアには雨季や乾季というものがなく、通年適度に雨が降り、晴れれば赤道直下の太陽が降り注ぎます。
また斜面を利用した農耕地は水はけもよく、農業向きの環境です。

それは今でも変わらず、ワメナの町を上空から見ると開墾された畑が広がり、町の市場にはみずみずしい野菜が並びます。

市場 Wamena_Papua, 2024

市場 Wamena_Papua, 2024

市場 Wamena_Papua, 2024

葉野菜や芋類が豊富。

パプアは芋食地域なのです。
現在はジャワなど国内の他の地域から米を輸入していますし、米食が増えてきてはいますが、
それでも高地の民の多くは今でも芋を育て、それを主食としています(詳しくは次回に)。

低地のジャヤプラでも、市場にはいろんな種類の芋が並びます。

市場 Jayapura_Papua, 2024

ふらっと入った食堂でお米の代わりに芋が選べたり、
ホテルの朝食ビュッフェにも茹でた芋がるあたり、異文化だなあとしみじみ。

ご飯の代わりの芋 Jayapura_Papua, 2024

ご飯の代わりの芋 Jayapura_Papua, 2024

ただ、沿岸部というのは、国内で移住してきた人たちもたくさん暮らしています。
ジャワはもちろん、スラウェシ南部のマカッサル、北部のマナド、そして東ヌサトゥンガラ地域からの移住者も多いとか。
そういった、他地域の人たちの食文化も混ざっているのが沿岸の街の特徴でもあり、
やはり米食が主流になってきてはいるのでしょうけどね。

そして、パプアの低地の人々は、サゴ澱粉も主食として多用しています。
サゴについては、以前バンガイ諸島の記事でも書いていますが、パプアが原産と言われている植物の澱粉です。
ジャヤプラから3時間ほど移動した森の村を訪れた際に、またサゴの採取など見せてもらってきました。

サゴ澱粉採取 Jayapura_Papua, 2024

一方、おかず。
山のパプアも森のパプアも、育ている芋類の葉や森に生えているシダの葉など、葉野菜をたくさん食べます。
タンパク質はというと、沿岸に近い人々は海の魚も川の魚も豊富に捕れ、
森や果樹を植えている畑に入れば、ジネズミの仲間などを捕まえてくることもできます。
また、移住してきたイスラム教徒の影響もあるのでしょうが、豚や鶏だけでなく牛なども食用されています。

市場に並んだ鰹の燻製 Jayapura_Papua, 2024

それに対して、高地の人々の場合、基本的に家畜は豚のみ。
ワメナの市場で鶏肉は、空輸されてくる冷凍食材でした。当然、卵も。
今は池で鯉などを養殖して食用にしていますが、少し前までは魚は選択肢になく、
特別な時に食べる豚以外は、森へ狩りに出て捕まえてきた鳥やクスクスなどだけだったそう。

家畜の豚 Wamena_Papua, 2024

とにかく、色々ちがいます。
そもそも、普段のわたしたちの生活とちがっているのに加えて、
山々に隔たれ、少し前までは陸路での行き来が非常に困難であった沿岸部と内陸高地です。
そりゃ、ひとくくりにはできないよね、という印象。

パペダ Jayapura_Papua, 2024

なので、これからしばらく、パプアの食卓について、見て聞いてしてきたことを、徒然に。
おつきあいください。



2023/12/07

西スマトラの食卓④

テ・タルア Padang_West Sumatra, 2023

西スマトラのごはん、最後は甘いものとか飲み物とか、〆系で。

まずは飲み物。テ・タルア/Teh Talua。
玉子入りのあったかいミルクティーです。

玉子入り??と思っていたのですが、実際に飲んでみると生臭みはほとんど感じられず、
濃く出したお茶とコンデンスミルクの甘さとコクで、
マレーシアなどにもあるテ・タリッ/Teh Tarik(マレーシアのはテ・タレというカタカナ表記なのかな)みたいな、
ぎゅっとした強いミルクティ、という感じです。

テ・タルア Padang_West Sumatra, 2023

注文してから観察してみると、お湯を沸かしてお茶を煮出している間に、
コップで砂糖と生の卵黄を、それはそれは高速で、カチャカチャカチャカチャッ!!とかき混ぜ、
ふんわりと泡立つくらいの感じにしています。
スポンジケーキ作る時の白っぽくなった卵黄、まさにあんな感じの。
そこに熱くて濃いいお茶を注ぎ、コンデンスミルクを注ぎ、上にパパッとシナモンパウダー。
卵黄は浮いて表面の泡になり、コンデンスミルクは底に沈んでいるので、3層に見えますね。
ライムを一切れ添えて出来上がり。このライムは生臭さを消すため、ということでした。
ミルキーなあったかいお茶にライムっていう組み合わせが独特の風味になり、これは結構クセになる。
わたしは朝ごはんの際に飲んだのですが、夜に友人とかと集まってまったりしている時とかに好まれそうな感じです。

コピ・タルア Padang_West Sumatra, 2023

紅茶だけでなく、コーヒーのももちろん。コピ・タルア/Kopi Talua。
これは、コンデンスミルクではなくて、砂糖入りのコーヒーですね。
が、沈澱コーヒーなんですよね。なので、カスが入っています。
上の泡部分と混ぜると、沈澱しかけてたコーヒーのカスはまた混ざってしまい、
そして泡状のためカスが沈澱せず止まってしまうのです。
なので飲むと口の中にカスが。これは、どうするのが正解だったのでしょうか。
味についてはライムフレーバーの甘い練乳コーヒーのようで、個性的だけど好ましい味でした。

朝ごはんには、甘いものを食べたくもなります。

これは、ブキティンギで食べた、ラマン・タパイ/Lamang Tapai。

ラマン・タパイ Bukittinggi_West Sumatra, 2023

ラマンというのは、竹筒の中でココナッツミルクと調理された餅米のことです。
むっちりと炊き上がったライスケーキは、ココナッツの滋味あふれる美味しさ。

ラマン Bukittinggi_West Sumatra, 2023

巻いてあるのはバナナの葉。取り出しやすく、香りよく。
そこにかけるのが、黒餅米のタペ/Tapai。シャビシャビなのが美味しいのです。

米+ココナッツの組み合わせといえば、ブキティンギに向かう途中で売られている焼き菓子、ビカ/Bika。

ビカ Bukittinggi_West Sumatra, 2023

すりおろしたココナッツに米粉を混ぜて、砂糖を加えたものをバナナの皮の上にペタンと落として焼く。
素朴で美味しい焼き菓子ですが、焼き方が豪快です。

ビカ Bukittinggi_West Sumatra, 2023

ビカ Bukittinggi_West Sumatra, 2023

ビカ Bukittinggi_West Sumatra, 2023

調理穴を天面に開けたオーブンにずらっと並べた素焼きの鉢に、ぺたぺたとビカを起き、
その上に同じ鉢を重ねて、その鉢の上でも薪をばんばん燃やしていきます。
下のオーブンでももちろん炎は燃え盛っていて、上下から強力な火力で熱せられて焼き上げるのです。
火力のコントロールに熟練の技とかありそう。
焼きたては最高に美味しくて、これはお土産に買うとかっていうより、その場で食べてこそだと思います。

ブキティンギからもうひとつ。

アンピン・ダディア Bukittinggi_West Sumatra, 2023

市場のお土産売り場で、柱にくくりつけられるようにして売られていたこれ。
アンピン・ダディア/Amping Dadiahと呼ばれる、竹筒にいれた水牛ミルクのヨーグルトです。

アンピン・ダディア Bukittinggi_West Sumatra, 2023

発酵食品はインドネシアもあちこちに色々ありますが、これも面白いですね。
特にヨーグルトになるための何かを加えているわけではなく、
水牛の乳を竹筒にいれ、バナナなどの葉で口を覆って2、3日おくだけで自然に発酵が進み、
保存期間が長いほど、酸味が強く、しっかりしたテクスチャーになるのだそうです。

そのままスプーンですくって食べてみました。
発酵みが先にくるので、一瞬構えますが、口の中で溶かして味わうと確かにヨーグルト。
地元のひとたちはこれに椰子砂糖の蜜と削った氷をかけてデザート的に食べるのだそうです。

ということで、西スマトラの食い倒れ、これにて。
実は、ここにご飯を目的で旅行したのは二度目なのですが、三度目、余裕でやれます。何度でも。

ロントン・グライ・サユール Padang_West Sumatra, 2023

どこででも食べられるパダン料理ではあるのですが、
どこででも食べられるパダン料理であってもなお、こんなに「現地で食べる」ことの喜びがあるのがマジック。
やっぱり違うんですよ、ジャカルタやバンドンで食べるのとは。
で、「もう一回行ったしいいや」とは思わないんですよ。
インドネシアに住んで、こんなに何度も食べているのにも関わらず、
それでもやっぱり「また行きたい、できれば未達の近隣にも行きたい」と思ってしまう。
風光明媚な観光地を巡りたいというのではなく、ただ真っ直ぐに「ごはんを食べに行きたい」。
恐ろしくも魅惑の、西スマトラです(きっとまた行きます)。