2025/11/02

アチェの食卓②

クママ調理中 Aceh_North Sumatra 2025

ということで、アチェのおかあさんたちと一緒にお料理です。

まずは買い出し。
鶏は丸っと一羽、羽を焼いてもらってから適当にぶつ切りにしてもらいます。
魚はトンコル/Tongkolと呼ばれる、サバの仲間をいくつか。
そして、アチェ名物のクママ/Keumamahと呼ばれる、茹でてから日干ししたトンコルも。

クママ Aceh_North Sumatra 2025

とはいえ、この時に手に入ったクママは、まだそれほど乾いていないもの。
クママというのは、漁師たちが余剰のトンコルやツナなどで作るものらしく、
それはつまり、漁獲量がそれほどではない時期には、あまり出回らないということなのです。
クママはイカン・カユ/Ikan Kayu(イカン=魚、カユ=木)とも呼ばれていて、
せっかくだったら、カユほどしっかり乾いたものを調理してみたかったのですが、残念です。

ビリンビとレモングラスとトーチジンジャー Aceh_North Sumatra 2025

フレッシュなビリンビと一緒に、レモングラスも購入。それからトーチジンジャーも。
この時に買ったのは、写真の上の方にある花ではなくて、右上にある芽の軸の方。
これを、レブン・カラ/Rebung Kalaと呼んでいました。
レブンはタケノコのこと。
カラは、北スマトラを中心にトーチジンジャーをチカラ/Cikalaと呼ぶので、そこからではないかと思います。

余談ですが、トーチジンジャーって、実はインドネシア各地でかなり広く使われている食材だと思います。
これまでスマトラ各地、カリマンタン内陸部、ジャワ、バリ、ロンボク、そしてスラウェシでも出会いました。
インドネシア語ではケチョンブラン/kecombrangと呼びますが、
それとは別に各地で独自の呼称があるのも、食材として地域に浸透しているからこそではないかと。
エキゾチックな香りが魅力で、使用部位は新芽の柔らかい芯の部分や、花、そして果実など。
わたしも大好きです。

ブンブ Aceh_North Sumatra 2025

ブンブ Aceh_North Sumatra 2025

ドライスパイス Aceh_North Sumatra 2025

使ったブンブ(調味料)たちはこんな感じでしょうか。もちろん、アサム・スンティもあります。
それから、パウダースパイスとしてターメリックとチリも。あとは塩かな。
それからもう一つ、ココナッツのブンブがあるのですが、それは後述します。

さて、どれからにしようかな。

まずはクママからにしましょう。

ブンブ Aceh_North Sumatra 2025

使用するブンブは、シャロット、ニンニク、緑の小さいチリと、赤い長いチリ、アサム・スンティ、コリアンダーシード、トマト。
これらを全部ブレンダーにかけてペーストにします。

油で、薄切りにしたシャロットを炒めて香りを出したところに、このペーストにしたブンブとカレーリーフを加え、
炒め合わせて火を通します。

クママ調理中 Aceh_North Sumatra 2025

全体にしっかり火が通ったら、丸くて小さい茄子を入れます。
これは、テロン・ピピ/Terong Pipit、もしくはタコカッ/Takokakと呼ばれる野菜で、
グリーンピースより少し大きめの、緑の実です。プチッと弾ける感じが美味しいです。

そして、ソースがほどよく煮詰まったあたりで、ほぐして水ですすいだクママを投入。

クママ調理中 Aceh_North Sumatra 2025

クママ調理中 Aceh_North Sumatra 2025

これをさらに煮詰めたら出来上がり。

クママ Aceh_North Sumatra 2025

インドネシアでは、広く各地で、海魚の調理には酸味を合わせる傾向が見られます。
このクママの場合は、トマトとアサム・スンティ。
青魚の旨みに酸味のソース、美味しくないわけないのです。ごはん泥棒。

つぎに、お魚をもう一品。

フレッシュなトンコルでスープです。

トンコル Aceh_North Sumatra 2025

この、魚の下処理がかなり特徴的でした。
まず、鱗はないのですが、銀の表皮があると生臭みが出るからと、その部分をこそげてしまいます。
そして、エラから顎、頬にかけての部分から内臓までを、ごそっと抜き取ります。
が、なぜかその時に、目は残すのです。技術的に難しいのでは、と思うのですが。

トンコル Aceh_North Sumatra 2025

独特なビジュアル。ちょっと怖い、笑。

それを、食べやすい大きさに切っていきます。

トンコル Aceh_North Sumatra 2025

さて、ブンブの用意。

ブンブ Aceh_North Sumatra 2025

シャロットとニンニクに、緑の小さいチリと、赤くて長いチリ、それからアサム・スンティでペーストにします。

魚の方は、まず、ざっと塩をまぶしてライムの果汁を絞っておきます。海魚には酸味の法則、ここでも発動。

トンコル調理中 Aceh_North Sumatra 2025

フレッシュのビリンビも薄く切って加えます。

トンコル調理中 Aceh_North Sumatra 2025

加熱する前ですが、ライムとビリンビの酸ですでに表面が白っぽくなっているのがわかります。
そこに、ペーストにしたブンブとターメリックパウダーを加え、適量の水を注いで煮ていきます。

トンコル調理中 Aceh_North Sumatra 2025

あとはぐつぐつと煮込んでいくだけ。酸っぱい魚のスープのできあがり。
目が合うけど。

トンコルのスープ Aceh_North Sumatra 2025

器によそっても、やっぱり目玉がちょっと気になるけど。味はいいのです、当然ながら!

フレッシュなビリンビは、果物らしい透明感のある酸味なのですが、
塩漬けにしながら日干ししたアサム・スンティになると、酸味に深みが出ます。
緑茶とほうじ茶、みたいなイメージです(わかりにくい?)。
南東スラウェシのブトン島にはパレンデ/Parendeと呼ばれる酸っぱい魚のスープがあり、
それは、タイの仲間など白身の魚にフレッシュなビリンビを合わせて作ります。
一方で、このトンコルなど、風味が強い青魚にはアサム・スンティなどアーシーで深みのある酸味が合うのです。
以前記事にしたバンガイ諸島の食卓でも、青魚にはタマリンドを合わせていました。
酸味の使い分けです。

では、続いて。チキンにいきましょう。

これは単純にアヤム・ブンブ・アチェ/Ayam Bumbu Aceh(アチェ風チキン)と言われたのですが、
使うブンブからして、確かにこれぞ「アチェ料理」という感じかもしれません。

まず、ペーストにするブンブですが、
トンコルのスープと同じ材料に(アサム・スンティは少なめに)、コリアンダーシードとライム果汁を少し足し、
そこに、クラパ・ゴンセン/Kelapa Gongsengという、ココナッツのブンブも加えます。

クラパ・ゴンセン Aceh_North Sumatra 2025

削ったココナッツの果肉部分をカラカラになるまで乾煎りし、それを石臼などで油が出てくるまで擦り潰したものです。
聞くと、乾煎りの段階でコリアンダーシードを混ぜる場合もあるらしく、
ココナッツの香ばしさと、爽やかなコリアンダーシードの香り、豊かな油脂の味わいが一体となって、
それはもう、魔法のペーストみたいに美味しいのです。

これはアチェ特有のブンブ。ココナッツミルクでは出せない香ばしさが魅力です。うっとり。

アヤム調理中 Aceh_North Sumatra 2025

ということで調理開始。
少量の油に、シャロットとドライスパイス(シナモン、八角、カルダモン)を加えて熱します。
インドネシアのカルダモンは、インドなどのグリーンカルダモンと異なり、丸っこくて白っぽい色をしています。
香りは、グリーンカルダモンほど強くはないかな。

香りが立ってきたら、ぶつ切りにしたチキンと、クラパ・ゴンセンと一緒にペーストにしたブンブ、適量の水を加え、
そこに、叩いて風味が出やすくしたレモングラス、カレーリーフ、パンダンリーフ、
刻んで塩しておいたトーチジンジャーの茎(中の柔らかい部分だけ)を足して煮込んでいきます。

アヤム調理中 Aceh_North Sumatra 2025

途中で、おかあさんが「なんかもうちょっと赤みが欲しいわよね」と、チリパウダーを加えました。
辛味が欲しいから、ではなく、色味が欲しいから、の唐辛子使い。

アヤム調理中 Aceh_North Sumatra 2025

とはいえ、ペーストのブンブの中にもたくさんチリは入っていますが、料理はそれほど辛味を感じません。
わたしの舌が辛味に慣れてしまったが故に、知覚が鈍っているという可能性もなくはないですが、
おそらくはココナッツも含めた油分と合わさることで、辛味の刺激がだいぶ抑えられているのではないかと。

そして、チキンがほどよく煮えた頃合いで、小さなジャガイモたちをころころっと足し、柔らかくなったら出来上がり。

アヤム・ブンブ・アチェ Aceh_North Sumatra 2025

スパイスの香りがあり、ハーブの香りもあり、ココナッツのコクと、その奥の方にある酸味。
動物性の旨みとバランスが取れる強さもあり、かつくどくならない。
なんて複雑で贅沢なおいしさなのだろうと感動します。

さてもう一品。
チキンを買う時に、半分にするか丸ごと一羽にするか迷って、結局一羽を買ったのですが、
その時に「じゃあ半分はアヤム・ゴレンにしよう」と思いついたのでした。

市場の一角に、ブンブのペーストを売っているおかあさんがいて、頼むとブレンドもしてくれます。

ブンブ屋さん Aceh_North Sumatra 2025

フレッシュのガランガル、ターメリック、ニンニク、シャロットのペーストを合わせてくれたのですが、
このおかあさんのアヤム・ゴレン用のブレンドが、もう天才的に最高でした。

アヤム・ゴレン Aceh_North Sumatra 2025

アチェに限らず、アヤム・ゴレンは、揚げる前にまずは下味をつけるために煮込みます。
一口大に切ったチキンに、ブレンドしてもらったブンブとカレーリーフ、ターメリックリーフを合わせ、
適量水を加えて煮込んでおきます。

市場などでペースト状にされているブンブは、加工しやすいように塩を加えられている場合が多いです。
なので、こういう形で使う時の塩加減は、そのへん注意が必要です。塩辛くなりすぎないように。

基本のブンブは、ある意味とてもインドネシアらしいブレンドなのですが、
そこにカレーリーフの香りが加わると、一気にアチェらしくなります。
ターメリックリーフは西スマトラでもよく使われますが、これもまたとてもいい香りがするハーブなのです。

アヤム・ゴレン Aceh_North Sumatra 2025

このくらい、水気が無くなるまで。
ブンブの繊維質や葉っぱなどが残っていますが、これをこのまま油であげることで、
例えば唐揚げなど、粉をつかった「衣」とはまた違う、サクッと軽い「衣」を纏うことになります。

アヤム・ゴレン Aceh_North Sumatra 2025

じゅわーーーー。
アヤム・ゴレンに「ジューシー」という概念はあまりないように思います。
それよりは、しっかりカリッとカラッとなるまで揚げます。
周りに残っていた繊維質たちも美味しい衣になって、出来上がり。

アヤム・ゴレン Aceh_North Sumatra 2025

なんなら、このカリカリになってる繊維質の部分だけで白ごはん食べられる感じ。

アチェごはん Aceh_North Sumatra 2025

お野菜も炒めてもらって、豪華なお昼ご飯になりました。

パッと見は、他の地域と似たような、茶色いインドネシアごはんに見えると思います。
けれど、一口食べるとわかるんです。
スパイスの香りやココナッツのコクを感じつつ、抜けのある軽やかさがある、アチェならではの味わい。
ちょっとクセになる、これらの味のせいで去り難いような、そんな素晴らしいアチェの旅でした。

クママ Aceh_North Sumatra 2025

アチェの食卓が、2025年最初の記事になってしまいましたが(スローですみません、汗)、
実は今年は、北スラウェシのマナドにも行っていたのでした。

タイミングは前後しますが、
スパイスフルなスマトラの料理から一転、フレッシュハーブがふんだんのマナドのごはんを次回から。


アチェの食卓①

グライ・クルマ Aceh_North Sumatra_2025

アチェに行きました。
インドネシアの最西端に位置し、古くから西側との交易地として栄えた地。


そのアチェで、朝食に食べたのが写真の一皿。

アヒルのブンブ・プティ/Bumbu Putihと書かれていました。
プティは白という意味で(実際の見た目は茶色いですが)、
キャンドルナッツやニンニクなどを使い、赤い唐辛子やターメリックなどを使わないことを表しているのだと思います。
一口食べた瞬間、ああこれはもう南アジアの味じゃないか、と思いました。
馥郁と鼻に抜けるスパイスの香りとココナッツのコクが、クセの強いアヒルの肉の旨味とマッチしていて、感動的でした。

調べると、ドライハーブはシナモンや八角、カルダモン、コリアンダーシード、
そこにニンニク、キャンドルナッツ、グリーンチリを合わせて、カレーリーフなどのハーブで香りづけするのだとか。
そして、ブンブ・プティはグライ・クルマ/Gulai Kurmaという名もあるようです。
Gulaiは以前、西スマトラの記事でも書きましたが、ココナッツミルクとスパイスで煮込んだカレーのようなもの。
クルマは、なんだかインドのコルマ/Kormaを思わせて、やっぱり南アジアの雰囲気。

実際、アチェの料理はとても南アジアに近いと感じます。それも、スリランカや南インドの味に。
ドライスパイスに加えて、カレーリーフやパンダンリーフを多用することからくる印象だと思います。

カレーリーフ Aceh_North Sumatra_2025

位置的に見ても、歴史的に見ても、西側から多大な影響を受けてきた土地ですので、
料理の中に南アジアの気配を感じることは不思議ではありません。

とはいえアチェでは、マスタードシードはコリアンダーシードに、
タマリンドはアサム・スンティ/Asam Suntiと呼ばれるビリンビ(ナガバノゴレンシ)の塩漬けに、
そして、ダールはココナッツに、と置き換わりますが。

コリアンダーシード Aceh_North Sumatra_2025

アサム・スンティ Aceh_North Sumatra_2025

民家の庭先には、カレーの木とビリンビの木が植えられ、この二つがアチェの食卓に欠かせないのだと伺えます。
カレーリーフはアチェではテムルイ/Temuruiとも呼ばれます。
南アジアでは一般的なこのハーブも、インドネシア国内で多用するのはアチェくらいではないかと思います。

カレーの木  Aceh_North Sumatra_2025

ビリンビの木 Aceh_North Sumatra_2025

ビリンビについて少し触れておきますね。
緑の小さなこの果実は、スターフルーツの仲間。でも、すっっっっっごく酸っぱいのです。歯に染みるほど。
その酸味を生かし、インドネシアの他の地域でも、スープなどの酸味付けに使われることがあります。

ビリンビ Aceh_North Sumatra_2025

このビリンビを、天日干しと塩漬けを3日繰り返してできたのがアサム・スンティ。
あまりドライになっても美味しくないそうで、ほどよくしっとりしたのが好まれるそうです。

アサム・スンティ Aceh_North Sumatra_2025

朝ごはんを食べた帰り道で、ちょうどアサム・スンティを干しているのを見かけました。
手前から、1日目、2日目、3日目。だんだん色が変わっていくのがわかりますね。
(椰子の葉を編んだ敷物も素敵です)
出来上がりのアサム・スンティは、日本の昔ながらの酸っぱい梅干しによく似た味がします。

このアサム・スンティはアチェの味を構成する大事な要素の一つ。
酸味使いは限定的になりがちなインドネシアにあって、これほど幅広く酸味を活用する地域も珍しいです。

アチェ滞在中にとても気に入った一皿があります。
クア・プリエッ・ウ/Kuah Pliek Uと呼ばれる、野菜をたっぷり使ったスープです。

クア・プリエッ・ウ Aceh_North Sumatra_2025

クアはスープ/汁を意味し、プリエッ・ウはココナッツオイルの搾りかすを発酵させたものを意味します。
アチェの言葉で、ココナッツは「ウ」なんです。かわいいですよね。

プリエッ・ウ Aceh_North Sumatra_2025

このプリエッ・ウ、小さな小さなひとかけらを口に含むだけで、それはそれは強烈な味と香りが口腔に広がります。
ココナッツの油脂が持つ独特の香味と、発酵由来の酸味を帯びた旨味。
そして、芳香と異臭のギリギリのキワを攻めるような、インパクトのある香りなのです。
これが、アサム・スンティを含むその他のブンブやスパイス、そして柔らかく煮えた野菜と合わさることで、
なんとも優しく染み入る、味わい深いスープになるのです。

クア・プリエッ・ウ Aceh_North Sumatra_2025

朝ごはんでも食べられるような、
あるいは味噌汁的に、毎日の食卓にあってもいいんじゃないかというくらいの滋味な美味しさ。
あの強烈なプリエッ・ウが、と思うほどです。

アチェ料理の食堂に行った時、パダン料理の食堂のようにずらっと皿を並べて出してもらえました。

アチェ料理 Aceh_North Sumatra_2025

全体的に茶色いですが、ここは「茶色いは美味しい」の法則発動の場です。どれも本当に味わい深い。
アチェの料理は概ね、複雑で重層的な風味を持ちながらも、角がなくて優しい印象で、白いご飯がとの相性も抜群。
インド洋に向かう土地柄、そして訪れたのも海辺の街バンダ・アチェだったので、海産物が充実しています。

貝のグライ Aceh_North Sumatra_2025

この貝のグライにうっとり。小粒の貝なのですが、旨みが素晴らしかった。

そして、アヤム・ゴレン/Ayam Goreng(鶏のフライ)は、たっぷりのカレーリーフと共に揚げられています。

アヤム・ゴレン Aceh_North Sumatra_2025

カリカリの葉っぱの香りが、とにかく食欲をそそるのです。
アヤム・ゴレンはもう全部これでいいよ、と思うくらいに好きな味でした。

それからもうひとつ、アチェと言えば。

ミー・アチェ/Mie Aceh。

ミー・アチェ Aceh_North Sumatra_2025

ホット&スパイシーなソースが絡んだ麺に、カニ。
具材は、カニやエビ、シーフードミックス、そして牛肉から選べるのですが、
わたしは、このソースに海鮮の風味が合うと思っているので、そしてやっぱり美味しいしでカニを選びがちです。
初めてアチェに来た時に、泊まったホテルの前の屋台で人生初のミー・アチェを食べ、
その時に「カニ2杯入ってる」と感動したのですが、時を経てのこのミー・アチェも2杯入っていました。
オスとメス(卵あり)それぞれ。うふふ。

わたしの中で、アチェのごはんはもっと辛い印象だったのですが、今回行った限りではそうでもなく、
それよりも、このスパイスとココナッツの組み合わせに酸味が入ることで生まれる軽やかさに夢中でした。

アチェ料理 Aceh_North Sumatra_2025

写真を見返しただけでも、味を思い出してお腹が鳴りそうなアチェの料理。
そんなアチェの家庭料理を、地元のお母さんたちに習ってきた時のことを、次回に。

2024/08/18

ムスティカラサ/Mustikarasa

ムスティカラサ

ムスティカラサ/Mustikarasaという本があります。
時の大統領の指示により1967年に出された、インドネシアの端から端まで、各地の料理を集めた壮大なレシピ集。
その後、2016年に再版され(わたしもその時に買いました↑)、今年に入ってまた注目されています。
インドネシアの食文化を見直すことを目的とした、Mustika Rasa Kini(現代のムスティカラサ)という活動や、この本のレシピに基づいた料理を出すレストランなども。

わたしはずっと、単純に、料理を通じての国家統一や、ナショナリズムを高めるためのものだと思っていたのですが、もっと切実に、食糧問題に対応するための政策という意図を持って編纂されたものだったのだと知りました。
というはなしを、今回は。
どこかに旅したとか何を食べたとか、そういうのじゃなくて堅苦しい内容なので、ちょっとうちの猫を添えて。

ムスティカラサ

トータルで1200ページ以上の厚さで、収められたレシピの数は1700ほど。
各地の郷土料理のほか、中国や西洋の料理も含み、レシピ以外にも素材の知識や栄養学的面からの解説もあります。

インドネシアの初代大統領スカルノが指示を出し、その妻のハルティニの監修のもと、1961年から始動したプロジェクト。
メールもファックスもなかった時代、彼らは全国の役所や婦人会などの組織に手紙を送りレシピを募りました。
寄せられたレシピは女性達が実際に試し、その作業や味の確認作業を行い、レシピのみではなく、栄養知識を共有し、献立の組み方も提案するものとして、プロジェクトは進みます。

ムスティカラサ

ムスティカラサ

一大プロジェクトの背景にあったのは、当時の食糧難でした。
インドネシア独立(1945)前と比べて、1965年には米の収穫量は倍に増えていたと言いますが、にもかかわらず、人口も倍に増え、一人当たりの米の消費量も増え、国が政策として農業支援を進めても、いつまでたっても国民の腹は満たされなかったのだと言います。

長きにわたるオランダによる植民地支配、第二次大戦中の日本軍支配を経て1945年に独立を成し遂げた初代大統領は、食糧(=米)自給も国家独立の一つの重要な要素と捉え、国を挙げて取り組んでは来たものの、米の価格の上昇は止まらず、国民の不満も募るなか、軍によるクーデター930事件が1965年に起こり、その後1967年には正式に退陣を余儀なくされます。
そんな、スカルノの政権末期のプロジェクトであったムスティカラサは、彼の失脚と前後する1967年に(やや急足で)出版されることになったのです。

ムスティカラサ

この本の本旨とは、全国各地の地場の素材を用いた食文化を復興/訴求することで、
元来米食ではなかった地域では、米以外のローカルな食材の見直しを進め、米不足を解消しようとするもの。
なので、レシピには、東ヌサトゥンガラ地方で食べられていたトウモロコシ粥、ジャグン・ボセ/Jagung Boseや、インドネシア東部を中心に食べられていたサゴ澱粉の粥、パペダ/Papedaなども掲載されています。

ムスティカラサ

材料別のインデックスで主食の欄を見ると、米を材料とするものが圧倒的に多いのは事実なのですが、その次にトウモロコシを持ってきています(その後、小麦粉、そして芋類)。

ムスティカラサ

主食に限らず、その土地の人々が本来ずっと活用してきていた、そこで採れる食材を使い、美味しくて体によい食事を作れるように、という、地場の食材を見直すことも期待していました。
食生活の原点回帰を促すとも言える、食糧政策としての国を挙げてのレシピ本の編纂。

そこに至る、インドネシアの、というかインドネシアという国ができるより以前からの、人と食の推移を、ここしばらく本で読んで勉強していました。

Ahmad Arifの3冊

インドネシアになる以前のこの島々のことを、なんと呼ぶのがいいか。それははもう「ヌサンタラ」なんですけど、なんか、新首都が「ヌサンタラ」になっちゃったもんで、使いにくいですね。でも、とりあえず、ヌサンタラで行きます。

この先は、自分の備忘録的メモでもあるので、だらだらと続きます。あと、まだ理解の途中なので、後から「あ違うわ」となることもあるかもしれません(だいたい、なんでも「あーなんかわかった」と思ったことは、あとから「わかってなかった」と気づくものですし)。ご了承ください。


まず、ヌサンタラへの人類の移動の段階。
①第一次アウト・オブ・アフリカ:ヌサンタラ着は50,000年前ほど
②第二次アウト・オブ・アフリカ:11,000年前
③第一次アウト・オブ・台湾(オーストロネシア系):4〜5,000年前
④第二次アウト・オブ・台湾:2,000年前
⑤インド・アラブ系移民(ヌサンタラ西部):2,000〜2,500年前

で、これらの人々の定住と食生活の変移は、
①と②の人々は狩猟採集生活を営み、ヌサンタラ各地に広がって行った。当時は、氷河期であったため海水位が低く、ヌサンタラ西側は半島と一体であったりして、移動もしやすかった。
のちに人口の増加などの要因を受けて、農耕へ移行して行く。地球の気温上昇により、草原が森になるなどして、猟がし難くなったからという仮説もあり、面白い。

狩猟採集の生活を送る人々は、現在のインドネシアにもまだいる。パプアのセンタニ湖周辺の人々は、サゴ椰子の澱粉を収集し、湖の魚を捕り、日々の食糧としている。

農へ移行した最初の形跡はパプアで、インドネシア領パプアのバリエム渓谷(人類が定住したのは27,000年前と言われる)では、タロイモ栽培+灌漑整備の形跡は7,000年ほど前まで遡れる。現在は隣国となるが、パプアニューギニア領の地域では、10,000年前にタロイモ栽培の形成が見られ、バナナは6950年前から栽培されているとされる。

③の初期オーストロネシア系移民がイネを持ち込んだ。
彼らは農耕民で、ここでのイネは陸稲。彼らが、カリマンタン等の狩猟採集民と交わった形跡もあるそう。初期農業は焼畑農業。一定の森林を焼き、農地として開墾し、数年ごとに移動していくというシステム。
現在も、カリマンタン内陸のダヤック人は陸稲を用いた焼畑農業をおこなっている。

④と⑤は水稲を持ち込んだ。
おそらく④が先行したようだが、ヌサンタラの特に西部に強くインパクトを持ったのは、⑤のインド水稲。
まずはジャワに伝搬し、一気に拡大定着、スマトラやカリマンタン南部、バリへと伝搬していく(スマトラ北部のアチェや、西部のパダンあたりには、インドからの直接的影響も見られる)。
その後、ヌサンタラ各地で繁栄した王朝を中心に水稲栽培は浸透していった。現ジョグジャカルタ付近を中心とした古マタラム(732〜1045)王朝の遺跡や、シャイレンドラ(760〜850)王朝が建立したボロブドゥール寺院のレリーフなどに、水稲栽培の様子が見られる。
その後、18世紀には、ジャワの低地などは米食が主流となっていた。

Ahmad Arifの3冊

それ以外の地域の主食は、というと、東インドネシアで現在も食べられているサゴ椰子の澱粉。これは、かつてはヌサンタラ各地で食べられていた。
カリマンタンのプナンが食するサゴや、西ジャワの内陸の民が食するサゴは、パプアなどのサゴと木は違うが、椰子科の植物の幹から採取した澱粉であることは同じ。

また、バナナの他、芋類は、最も古いタロイモの他、16世紀にポルトガル、もしくはスペインによって持ち込まれたサツマイモ、そして1892年にオランダが持ち込んだキャッサバなどが主食として広く食されていた。

トウモロコシは東ヌサトゥンガラ州などで今もよく食されているが、サツマイモ同様に16世紀にポルトガル/スペインによって持ち込まれ、定着した。

キビの仲間であるソルガムもよく食べられていた。ヌサンタラに伝搬したのは米よりだいぶ以前である可能性が高く、乾燥地でも手をかけずともよく育つので、各地で栽培された。ただ、主要作物として表に出ることは稀であったため、米の浸透と共に忘れ去れられた感がある(近年、食糧危機に対応する植物として意識され始めてはいる)。

で、それらを踏まえ、このヌサンタラにおける、その後スカルノも頭を悩ます事になる、続く政権でさらに悪化し、いま現在も解決されていない、米化の流れです。

うちの猫で一息いれとく?

ねこ

そもそも、ヌサンタラの人々は、それぞれの土地でそれぞれの植生に合わせた食生活を送っていた。
オランダによる植民地化。強制栽培を目的とした農地のとり上げ、地主小作システムの確立。
主に、ジャワとスマトラを中心として行われた。彼らは、稲作を行う農地を失うと共に、手のかかる稲作に割く労力がなく、この期間は米の消費は減少する。代わりに、乾燥地などで手をかけずとも育ちやすいサツマイモ、キャッサバ、トウモロコシなどが代替主食となる。
インドネシア独立(1945年)
国家の独立=食糧(=米)自給を目指し、米の生産量を倍増させたが、人口も倍増。また、一人当たりの消費量も増え、米の充足は達成されない。
植民地時代に米を取り上げられた地域の人々が独立後の国策に中心となったため、食糧=米、とにかく米、米、米を、という米バイアスが拭えなくなったのではないか、というのは個人の感想(でもそうだと思う)。
従来食の見直し。乾燥地帯の活用も視野に入れ、トウモロコシなどの栽培も推奨。食の意識改革を目指して、ムスティカラサの編纂を指示(1961)。
米の値段上昇を抑えられず、初代大統領スカルノ失脚(1967)。かろうじて出版されたムスティカラサだが、国策に反映されることはなく、時期大統領として、スハルト就任。
農村出身のスハルトは「緑の改革」を掲げ、食糧=米の自給を目指す。多様であった在来種を一掃し、品種改良された指定品種+化学肥料+農薬を使った水稲栽培を推奨。他の作物の栽培農地も水田にするよう指示。
そもそも、焼畑による陸稲栽培は在来種の多様性を維持するに向いていたが、水田による水稲栽培はモノカルチャーの走りとも言えるシステムであり、それがさらに指定品種に制限されてしまったことで、米の多様性が失われた。以前は8,000前後あったとされる在来品種も、その多くが失われてしまったと言う。
また、指定品種の種、化学肥料、農薬、などの購入が必要となるため、稲作はお金のかかるものとなる。それが、地主小作の格差拡大を助長したとも考えられる。
経済的自立を求めて外資の参入に非積極的だったスカルノから、外資と協力関係を結ぶスハルトへ移行した結果、大規模な環境破壊が進む。
一例として、カリマンタン。森林の木材を伐採し、日本の商社へ売却。伐採された森は、放置されるか、パーム椰子など商品作物のプランテーションとして使われる。
移動型の狩猟採集民として暮らしていた土地の人々にとっては、生活の場であった森が失われることになる。食の自給が絶たれ、貧困者枠へ入れられ、従来は米食ではなかった彼らに、支援として米を送られるようになる。
定住化を余儀なくされた人々は、商品作物の栽培を行い、それを売ったお金で米を買うようになる。
各地で同様のことが起こる。
政府=ジャワなので、食糧=米なのは変わらず、支援は常に米。
受給側にとっては「国から与えられるもの」「お金を出して買うもの」である米は、従来の食を支えた「採れるもの」より上位のものというイメージがついていく。
結果、特に若い世代から、従来食よりも米食を求める傾向が強くなり、米依存となっていく。
1954年には米を主食とする人は、全国民の53.5%であったが、1981年には81%にまで上昇している。
しかし、従来米食でなかった地域というのは、米栽培に不向きな土地である場合が多い。このため、従来食を捨て米食へ移行するというのは、必然的に地域での食糧自給が低下することになり、購入するか、国から支給される米に依存することになる。
スハルト失脚後も米化の流れは止まらず。
外部からの米、政府支援の米に依存する貧困地域に明確な策はなく、米による食の植民地化とも言われる。
一例として、東スンバの内陸の村。1970年代までは、米(水稲+陸稲)、トウモロコシ、ソルガム、豆などを栽培し、食を賄えていたが、2016年時点で消費は米中心となり、地域の米総消費量125.5トンのうち、収穫で賄えるのはわずが32.5%のみであり、あとは外部に依存するしかないと言う。
地域支援としてのインフラ整備が進むことで、農業従事における労働力が流出する。加えて、消費作物に代わって換金作物を栽培するようになり、収穫物は自分達が食べるのではなく、町へ出て売るものになる。売ったお金で米を買う。
近年、米食は低下傾向。代わりに小麦の消費量が上昇。ただし、小麦は100%輸入のため、自給率はさらに低下することになる。
小麦=インスタント麺
2024年は400万トンの米を輸入すると予測され、これは過去最大の数値。

で、この状況をどうにか見直そうという流れが、冒頭の「現代のムスティカラサ」のムーブメントなのです。

ムスティカラサ

たぶん、こういう流れ、わかっている人はきっとちゃんとわかっていたんだと思うんですがわたしあんまり気づいていなかったんですよね。
パプアで、あんなに美味しいパペダを前にして、子供たちは米を食べたがると聞いて、あんなに豊かにあるサゴ椰子の澱粉より、みんな今は米志向だと聞いて、ようやく「え」となりました。
パペダよりご飯が上なのだろうか?と。

確かに、米は美味しいんです。わたしも日本人なのでそれは認めます。その米のおいしさが中毒性を持つのも確かです。そして、美味しいは、割と全てに優先されるのも事実だと思うので、もうどうしようもないのかな、とも思うのですが。

でも、例えばGI値を比べると、ご飯は80ですが、サゴは40です。
ご飯の方が、サゴより燃焼されやすいので、すぐにお腹がすいてしまうんですね。
加えて、これはメンタワイ島でのデータですが、1時間彼らが働いて得られる収穫としては、サゴは2.6キロなのに対して、米は0.6キロなんです。効率が非常に悪い。
作業効率が悪く、燃費も悪く、かつ自給できないので外部に頼らざるを得ない、そんな米なのに。
というジレンマを感じてしまったのでした。

ムスティカラサ

なので、この一式を調べて、結構満足しました。
それを知って、じゃあ今から何かできるのかといえば、できることはほとんどないでしょうが、それでも、知っているから気付けることっていうのはあるわけですしね。
長々お付き合いありがとうございました。

次はコメの地へ、という計画に変更はありません。