2018/12/31

トウモロコシ/Jagung

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018
大晦日ですね。トウモロコシの日です。

大晦日の夜には、焼きトウモロコシを食べる。
わたしがそれを知ったのは去年の12月でした。
よく一緒に仕事をしている取引先のインドネシア女子に「大晦日は焼きトウモロコシだよね」と言われ。
「へ?」という顔をしていたわたしに彼女は「なおさん、なんで知らないの?!」と畳み掛けました。

そう言われて見てみたら、どうでしょう、たしかに大晦日の街にはトウモロコシが溢れています。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018

わたしが暮らす西ジャワ州バンドンでも、市場にはいつも以上にトウモロコシが積まれ、
スーパーマーケットでもトウモロコシが売り場のいい位置に移動し、
近所の辻には「農家直販」風の軽トラックまで。

ネットで「大晦日、焼きトウモロコシ」と検索すればレシピがずらっと(焼きトウモロコシのレシピとは)。
冒頭の彼女曰く、彼女の自宅がある町内会では一週間前くらいに注文を集めるらしく、
なんと今年は、うちのメイドさんの家の辺りでも農家から「いかがですか」という触れ込みがあったそう。

どうしてトウモロコシなの?という疑問がむくむくと。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2017

厳密には、トウモロコシだけではないんですね。色々焼くのだそうです。
サツマイモや、バーベキュー風にお肉だったり、魚だったりを、屋外で炭火を使って焼いて食べる。
その中でも、なぜかトウモロコシがメインに取りざたされているのですが、
ざっと調べた限りでは、これはここ十年くらいに認知され始めた新しい習慣なのではないかと思います。
インターネット上でも、古いので2011年の記事に「大晦日の習慣、焼きトウモロコシ」というのがありました。
そしてこれを行っている地域は、まだジャカルタを中心とした都市部だけなのではないかと思われます。

大晦日にトウモロコシを焼くその理由については、
曰く、沢山の粒からなるトウモロコシは我々の持つあらゆる能力や可能性を表わし、
かつそれを見せびらかすことなく包み隠している謙虚さも示している(ので、それにあやかる?)とか、
年を新たにする際には、古い年の(自らの中の)悪しきもの(習慣や感情)を「焼き捨てる」必要があり、
それをふまえて、火を熾し色々焼くのだ、というのとか。

まあ、後付けの理由でしょうね。

インドネシアの年越しは友だちや家族と、家や、時には郊外に借りた一軒家などに集まり、
めいめい花火をあげたり、おもちゃのトランペットを吹き鳴らしたり、賑やかなものです。
そんな場で、花火を眺めながらみんなでお喋りしながら、なにをする?でバーベキューだったんではないかと。
もともと、炭火で何かを焼くのはインドネシアの調理法として一般的ですし、
ちょっとしたピクニック先などでトウモロコシを食べるのも、これまた一般的です。
親和性の高さ、ということではないかなと思っています。

ところで、トウモロコシ。
インドネシア国内で、トウモロコシの消費が盛んな地域と言えば、東ヌサトゥンガラ州です。


オレンジ色のあたり。
生産量としては決して多くはないのですが、
乾燥した気候と地質のこの地域に合致した作物として浸透しています。

鏡味治也編『民族大国インドネシア』(2012年木犀社刊)の中に、西ティモールについての記述があります。
(西ティモール=地図右下の半分色がついている島がティモール島、その東部は「東ティモール」として独立)
西ティモールの人口の半分を占めるアトニ・メトと呼ばれる民族において、彼らの用いる倫理規範は、
「慣習に従うこと」と「トウモロコシに従うこと」なのだというのです。
トウモロコシの扱いを誤ってはならない、一粒たりともムダにしてはならない、というのです。
文中から抜粋すると、
「普遍的な世界史にしたがえば、トウモロコシは十七世紀にオランダによって西ティモールにもたらされた。以後急速に普及し、島の農業と食生活を四半世紀の間に大きく変えていったとされる。しかし村人たちは、トウモロコシは、彼らの歴史の始まりにおいて、すでに祖先とともにあったものだと語る。祖先がトウモロコシを食料とする以前の時代が想像され語られることはまずなく、歴史の始まりから今日まで連綿と受け継がれてきたことが強調される」
とあります。かくも浸透しているトウモロコシ。非常に興味深いなと思いました。

とはいえ、アトニ・メトのこの事例はやや極端な例ではありますが、
この東ヌサトゥンガラ州での食生活におけるトウモロコシの存在感は、やはり西ジャワ州とは異なります。

市場 Timor_East Nusa Tenggara, 2018

乾物として売られている中に、挽き割りトウモロコシや、白い薄皮をむいたトウモロコシ。

挽き割りトウモロコシ Timor_East Nusa Tenggara, 2018

挽き割りトウモロコシはご飯に混ぜて炊くのだと言われました。

白い薄皮をむいたトウモロコシは、以前記事にしたジャグン・ボセをつくるためのトウモロコシ。
肉質が異なり、こちらはもっちりした粘度の高めのトウモロコシです。

剥きトウモロコシ Timor_East Nusa Tenggara, 2018

食事としてのトウモロコシの他に、おやつとしてのトウモロコシ。

トウモロコシのおやつ Bandung_West Java, 2018

揚げトウモロコシ/Jagung Goreng (Marningと言われることも)と、潰しトウモロコシ/Jagung Titi。

揚げトウモロコシは、一旦茹でてから干し、味付けをしてから改めて揚げたもの。ボリボリとした食感です。

揚げトウモロコシ Bandung_West Java, 2018

潰しトウモロコシ、もしくはジャグン・ティティ(ティティ/Titi=潰す)はもう少し保存食的な印象。

皮を剥き、乾煎りをしてから熱いうちに一粒ずつ潰していきます。
それを天日で干し、しっかり乾燥させることで日持ちさせるのだそうです。
そのまま食べたり、揚げてスナックにしたり、コーンフレーク様に朝ごはんにミルクをかけてもいいと言います。

ジャグン・ティティ Bandung_West Java, 2018

これはピーナッツも入っていますね。

ジャグン・ティティは、フローレス島の東部から以東の島々で特に好まれるそうです。
夕方、コーヒーを飲みつつジャグン・ティティをぽりぽり食べる、というのが定番なのだとか。
2018年6月まで二度に渡り任期を努めた東ヌサトゥンガラ州知事は、フローレスの東に位置するアドナラ島出身。
会談の場や、中央政府からの役人、大臣、はては大統領を迎えるような場でも、
常に「自分たちの原点として」ジャグン・ティティを忘れずに用意させたのだと聞きます。

このジャグン・ティティをカリっと揚げたスナックは、ウンピン・ジャグン/Emping Jagungと呼ばれ、
パリパリと香ばしいコーンスナックという感じで、手が止まらなくなります。

ウンピン・ジャグン Bandung_West Java, 2018

それからもうひとつ。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018

油と塩で乾かしたトウモロコシを炒って作る、あれ。

ポップコーン Bandung_West Java, 2018

ポップコーン。

ジャワでは、ポップコーンと言えば、映画館。もしくは袋入りのスナック菓子という感じですが、
東ヌサトゥンガラでは、もっと家庭的な立ち居位置。
島の漁村にお邪魔した時、そこの村長さんの奥さんがおやつに作って出してくれたりしました。

ここ西ジャワ州バンドンから少し行ったところに、野菜栽培が盛んな高原の町レンバンがあります。
そのレンバン産のトウモロコシがこの辺りではよく流通するのですが、
基本的にスイートコーン。中には、生で食べても十分甘くてジューシーという品種も。
トウモロコシを食べるシーンとしてはあくまで「ピクニック」で。
日常の中では、せいぜいがスープの具という程度でしょうか
甘さは抑えてもちっとした東のトウモロコシとは品種も、その立ち位置も異なります。

ということで、トウモロコシ徒然。

わたしは今朝のうちに買ってきていたのですが、昼前にうちに来たメイドさんからもまたごそっと。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018

例の、触れ込みにきていた農家から沢山買ったのだとお裾分けしてくれたのでした。

ということで、うちには今、十本のトウモロコシがありますよ。食べなくちゃ。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018

あちこちから上がる花火の音と、近所の子どもたちがならすトランペットの音を聞きながら、
今夜は焼きトウモロコシを食べるのです。

ということで、みなさま、よいお年を。




2018/12/23

茶/Teh

ジャワの茶葉 Bandung_West Java, 2018

ジャワティーってありますよね。あれは、本当にインドネシアのジャワ島産茶葉を使っています。
ちなみに、ジャワカレーはジャワ島とは関係ありません。

ということで、インドネシアのお茶について。

インドネシアのお茶の生産量は、2017年には157,388トンで世界第6位(日本は8位)。
そのうち約65%は、国外輸出用で、輸出される茶葉は主に紅茶。
インドネシア茶として流通するのではなく、輸出先でブレンドティーの材料とされる場合が多いそうです。

では、国内で消費されるのはどういうお茶なのか。

その前に、ざっとインドネシアでの茶葉生産の歴史を。

記録によると、インドネシアに初めて茶の木が持ち込まれたのは1684年。
ドイツ人が日本から種を持ち込み、バタビア(現ジャカルタ)で庭木として植えたと言われています。
それ以降、茶の木はしばらく庭木としてのみ植えられ、茶葉栽培として植えられたのは、
1827年に西ジャワのガルット/Garutで、オランダ東インド会社が量産を目的とした茶畑を開いたのが始まり。
同年、西ジャワのプルワカルタ/Purwakartaと東ジャワのバニュワンギ/Banyuwangiでも茶畑がスタート、
翌年より茶葉生産を開始し、アムステルダムの記録に初めて「ジャワティー」の文字が記されたのは1835年。
1877年にはアッサム種をセイロンから導入し、茶葉のプランテーションは一層拡大していくことになります。
1910年にはジャワ島外初のプランテーションが北スマトラにでき、
1941年、インドネシアの茶葉生産量は世界第3位となりました。
しかし、日本占領下にその生産量は低下。1950年以降、徐々に回復していって現在に至ります。

茶の木の栽培に適した土地は、火山性で水はけの良い土壌。
国内の産地はジャワ島とスマトラ島にほぼ限定され、現在は西ジャワ州が圧倒的な生産量を誇っています。
続いてスマトラ北部、東ジャワ、中部ジャワと西スマトラはほぼ同量、という感じです。

で、インドネシア国内で消費されているお茶の話しです。

ジャワのジャスミン茶 Bandung_West Java, 2018

生産量に対し国内消費量はぐっと下がるインドネシアですが、それでも人々の暮らしの中に浸透しているお茶。
インドネシア、特にジャワで好まれるお茶は、ジャスミン茶なのです。
インドネシア語では、テー・ムラティ/Teh Melatiと言います。ムラティがジャスミンです。
地域差はありますが、家庭で淹れるお茶も、ボトルなど売られているお茶飲料もジャスミンのものが人気。

なぜか。

この茶葉生産の歴史にその理由があります。

最初から、インドネシアでの茶葉生産は輸出のためのものでした。
今でも65%と言われていますが、ましてやオランダの植民地支配下のプランテーション時代。
グレードの高い茶葉は全て輸出にあてられ、土地の人々が口にすることが出来たのは低グレードの茶葉のみ。
枝なども混ざり込んだ茶葉に、本来のティーの香りや風味は望むべくもなく。
そこで風味足しとして使われ始めたのがジャスミン。そのジャスミン茶が広く庶民に浸透して行きました。

1910年代、日本統治下の台湾からジャスミン茶がジャワに輸入されていた記録があります。
(包種茶という香りのいいお茶、という説も)
これによってジャスミン茶が庶民に広がったという記述を目にしたのですが、それはちょっと疑問。
同じ頃、中部ジャワ北岸のスマラン/Semarangに、ビジネスで成功を収めた福建出身の華人がいました。
彼の主力商品がジャワの砂糖と台湾茶で、それらをオランダ東インド会社へ販売していたのだそう。
なので、輸入した茶葉はそのままオランダに流れたと見るのが妥当ではないかなと思っています。
当時の庶民に輸入茶を飲む財力があったのか、
また閉鎖的な華人社会で消費されるお茶がそんなに簡単に庶民に広がるのか、という気がします。

ジャワのお茶 Bandung_West Java, 2018

この、紙に包まれたお茶たち、みんなジャワ産のジャスミン茶です。
各家庭ごとに好みのブランドがあるんだろうなと思います。
クラシックな絵柄が魅力ですね。
なんでお茶なのに、釘抜き印とか、サッカー印とか、ほうきがけ印とかなのか、想像が広がって楽しいです。

ジャスミン茶 Bandung_West Java, 2018

茶葉はこんな具合。
葉の色など微差はあるものの、いずれも不揃いでざっくりとした茶葉。かなり太い枝も入っています。

そしてお茶の色。

ジャスミン茶 Bandung_West Java, 2018

いわゆる、紅茶の色。

ですが、緑茶/Green Tea/Teh Hijauベースなのです、ジャスミン茶は。
インドネシアで主流の緑茶の製法は、日本より中国の製法に近いのですが、それにしても茶色すぎます。
その理由はプロセスに。

ジャスミン茶に加工されるのは、水分量が最高で10%までの緑茶葉。
その茶葉を、まずは150−170度の高温ドライヤーで1−2時間かけて乾かします。
インドネシアでは「焦がし」と呼ばれるこのプロセスにより、ジャスミンの香りが吸収されやすくなるのだそう。
その上で、改めて茶葉を水で湿らせ、水分量30−35%とします。葉が開いて香りが入りやすくなります。
そこにジャスミンの花を混ぜ、香りを移します。
ジャスミンの花は、蕾の状態で朝摘みし、花が開いて強く香る夜に茶葉と混ぜる行程を行います。
香りが十分移ったら、花を取り除きます。
とはいえ、きちんと花で香りづけをした証として、意図的に取り除かずに残す場合もあるようです。
そして、最後に100−110度ほどのドライヤーで、水分量4%程まで乾かして、完成。

通常の緑茶のプロセスは、生の葉を加熱→揉んで→乾燥です。紅茶は、生の葉をまず発酵→揉んで→乾燥。
このジャスミン茶のプロセスには発酵はないので、紅茶ではありません。
途中の「焦がし」と呼ばれている過程を考えると、
この茶色は、日本茶で言うところの焙じ茶と同じ茶色と言えるのかもしれません。

ちなみに、友人にもらった台湾の茉莉花茶。

台湾茉莉花茶 Bandung_West Java, 2018

台湾の茉莉花茶製造工程でも、香りを移す前の乾燥プロセスはあるらしいのですが(湿らせはしないよう)、
茶色くないですねえ。……まあ、別物ということで(笑)。

台湾茉莉花茶 Bandung_West Java, 2018

まるで口の中で花が開いたかのような、まったく素晴らしくジャスミンなお茶でした。ごちそうさま。

さて、インドネシアのジャスミン茶の、そのお味は。

ジャスミン茶 Bandung_West Java, 2018

台湾茉莉花茶に比べると、かなり、だいぶ、ワイルドフラワーな感じの味ではあります。
雑味が多いのですが、中でも強く感じられるのが「渋味」。
こわそうな茶葉な上に無骨な枝入りですので(包装を突き破っているときもあります)、渋いのも納得。
ですが、この渋さが今では逆に「ジャスミン茶の味」として定着したという向きもあります。

中部ジャワ北岸の街、テガル/Tegalは、ジャスミン茶のメーカーが集まる街でもあります。

テガルから東に行ったプカロンガン/Pekalonganが、加工用のジャスミンの産地であることからも、
インドネシアの中でも、この地域の人々は、とりわけジャスミン茶を好むと言われています。
そして、テガル周辺で見られる喫茶習慣が「モチ/Moci」と呼ばれるもの。

モチのセット Bandung_West Java, 2018

モチとは、ティーポットを意味するポチ/Pociに由来し、Pociを動詞化したMemociを短縮したもの。
「お茶する」みたいなものでしょうかね。

モチでは素焼きのポットでジャスミン茶を淹れ、同じく素焼きのカップでいただきます。
この地域でお茶とは「熱く、香りよく、甘く、濃く」と言われるのだそうです。
抽出時間30秒でも渋みが出てくるテガルのジャスミン茶ですが、
それをこのティーポットに入れたまま、ちびちびと飲んでいくわけです。
当然かなりの濃さと、かなりの渋みですが、それが「茶の味」となるのだそう。

だからこそ、しっかりと甘さをつけます。

氷砂糖 Bandung_West Java, 2018

モチの甘味は、氷砂糖。これは、決まり事です。
この氷砂糖をカップに入れて、お茶を注いでいただくのですが、混ぜてはいけないという説があります。
「最初は苦く、やがて甘く。まるで人生を表わすようなお茶の味を味わうのだ」とか。
まあ、飲んでる人を見てみると、みんな普通にくるくる混ぜて最初から「人生の甘さ」を堪能していますが。

このモチの習慣と茶葉メーカーは、当然切っても切れない関係。
ティーポットには茶葉ブランド名が入っているのがお約束です。

社名入りポット Bandung_West Java, 2018

このモチに限らず、中部ジャワでお茶というと、とにかく甘いものです。
東ジャワも同様かもしれません。
お茶そのものまでもがとろりとして感じられるほどに、砂糖を沢山いれたものがジャワのお茶。
全国で市販されているお茶飲料もかなり甘めの味なので、
「インドネシアのお茶は甘い」と言われる方もよくいらっしゃるのですが、実はそうとも言い切れません。
同じジャワ島でも、西ジャワでは砂糖を入れないストレートティーもまた好まれるからです。

またオランダ東インド会社に話しが戻るのですが、
中部〜東ジャワは砂糖プランテーションが広く展開された土地で、砂糖と庶民は比較的近かったのに対し、
砂糖プランテーションはほとんどなく、また中/東ジャワからの砂糖の輸入も制限されていた西ジャワでは、
庶民にとって砂糖とは、あくまでも高級品でそんなに日常使いできるものではなかったからだと言われています。
そのため、西ジャワ地方ではお茶はストレート(甘いのも飲みますが、もちろん)。

ただその分(かどうかわかりませんが)、西ジャワ地方の食堂ではご自由にどうぞとお茶がおいてあります。

屋台のお茶 Bandung_West Java, 2018

道ばたの屋台ですら、コップにお茶を入れて出してくれます。
この習慣ゆえ、ボトル入りのお茶を生産している大手お茶メーカーがノンシュガーティーを発売した際に、
「西ジャワじゃ売れないよ、ノンシュガーのお茶はタダなんだから」と言う声が聞かれたほど。
ただ、こうして出されるお茶は、ごくごく薄く、お茶としてというよりは、
湯冷ましを出すのに「ちゃんと沸かした」印として茶葉で色を付けているのではないかと思っています。

さて、ささっと、ジャスミン茶以外のお茶について。

まずは、紅茶/Black Tea/Teh Hitam。

ジャワ紅茶 Bandung_West Java, 2018

西ジャワのボゴール/Bogorでつくられているワリニ/Waliniと、
中部ジャワのウォノソボ/Wonosoboでつくられているタンビ/Tambi茶。ジャワティー組です。

ワリニは最近ティーバッグのものしか見かけなくなりましたが、わが家の定番です。
茶葉はタンビ茶。右は友人が分けてくれたタンビの茎茶で、ちょっと珍しいもの。通常は左側。
パッケージに「ペコ・スーチョン」と書かれているので、茶葉の等級から言えば4番目ですかね。
それを細かく切断したものです。
ワリニは香りはそれほど強くないですが、紅茶らしい味わい。
タンビはかなりすっきりとした味わい(茎茶は更に)で、食事の時にがぶがぶ飲めるタイプのお茶です。

国内の茶葉の流通はかなりドメスティックで、ジャワでジャワ島外の茶葉をみることはあまりないのですが、
こちら、スマトラとバリのお茶。

スマトラ&バリ茶 Bandung_West Java, 2018

良質な茶葉として知られるカユ・アロ/Kayu Aroは、スマトラ西部のクリンチ/Kerinci地方産。
イギリスのエリザベス女王のお褒めに授かったことがある茶葉だとか、なんとか。
なお西スマトラではタルア/Taluaというお茶の飲み方があるそうです。
白っぽくなるまで泡立てた卵黄に砂糖を加え、沸かした紅茶を注ぎ、練乳とライムで味を整えるというもの。
試したことがないので、味の想像がつき難いです。

カユ・アロ茶葉 Bandung_West Java, 2018

カユ・アロもタンビに似た茶葉で、茎状の部分が目立ちます。
枝も葉も、ジャスミン茶に使われているのと変わらないのではないかと思うのですが、
このカユ・アロはほとんど渋みを感じさせない、明るい香味のお茶です。

北スマトラにも有名な茶葉があるのですが、国内にはほとんど流通していない様子。
パッケージに大きく「スマトラ」とあるお茶はメダンの会社が製造元なので、
恐らく茶葉自体は、北スマトラの茶葉ではないかと思います。
このスマトラ茶は、ちょっとスモーキーな味わい。
北スマトラはマレーシアに似て、練乳を加えて甘くして飲む飲み方も人気らしく、
たしかにそういう飲み方に合いそうな味です。

それからバリ茶。これは、初めて見ました。
バリというとコーヒーが主力で、茶葉はほとんど耳にすることはありませんでしたが、
近年いくつかの茶園がバリのお茶を製品化しているようです。
このブランドのは……ちょっと、苦手な味。スモーキーなバニラというか、香料なのかな?

国内で消費される茶葉は基本的にジャスミン茶と紅茶ですが、
近年、その他の茶葉も一部で生産されるようになってきました。

ジャワ産中国茶 Bandung_West Java, 2018

台湾や日本で技術を学び、それを反映させて製造された、
高級ラインの国内ブランドが出す緑茶や烏龍茶。白茶(シルバーニードル)は西ジャワの茶園から。
他に煎茶などもあり、それはヨーロッパ方面へ輸出もされているのだそうです。

その白茶の製造も行っていた茶畑が、西ジャワ州のレンバン/Lembangの茶畑。

茶畑 Lembang_West Java, 2016

工場も見学させてもらえたりします。

茶葉工場 Lembang_West Java, 2016

茶葉工場 Lembang_West Java, 2016

茶葉工場 Lembang_West Java, 2016

ここでも、輸出がメインらしいです。

工場の外側には大量の薪が。

茶葉工場 Lembang_West Java, 2016

茶葉の乾燥などに使う燃料で、ゴムの木が火脚が長く火力も強いのでいいのだそうです。

ということで、ざっとインドネシアのお茶事情でした。

ボトル入りや、インスタント、またはフレーバーティー、そして「お茶の木」ではない葉を使ったお茶など、
キリがないので、今回は茶葉について。他のものは、またいずれ、追々で。

ジャワの茶葉 Bandung_West Java, 2018

決して、ハイグレードのお茶ではない、インドネシアのお茶たちですが、
渋い渋いジャワのジャスミン茶も、飲み終わると不思議と爽やかさが残ったりします。
そしてなにより、インドネシアのごはんには、やっぱりインドネシアのお茶が合うのです。