2018/12/31

トウモロコシ/Jagung

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018
大晦日ですね。トウモロコシの日です。

大晦日の夜には、焼きトウモロコシを食べる。
わたしがそれを知ったのは去年の12月でした。
よく一緒に仕事をしている取引先のインドネシア女子に「大晦日は焼きトウモロコシだよね」と言われ。
「へ?」という顔をしていたわたしに彼女は「なおさん、なんで知らないの?!」と畳み掛けました。

そう言われて見てみたら、どうでしょう、たしかに大晦日の街にはトウモロコシが溢れています。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018

わたしが暮らす西ジャワ州バンドンでも、市場にはいつも以上にトウモロコシが積まれ、
スーパーマーケットでもトウモロコシが売り場のいい位置に移動し、
近所の辻には「農家直販」風の軽トラックまで。

ネットで「大晦日、焼きトウモロコシ」と検索すればレシピがずらっと(焼きトウモロコシのレシピとは)。
冒頭の彼女曰く、彼女の自宅がある町内会では一週間前くらいに注文を集めるらしく、
なんと今年は、うちのメイドさんの家の辺りでも農家から「いかがですか」という触れ込みがあったそう。

どうしてトウモロコシなの?という疑問がむくむくと。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2017

厳密には、トウモロコシだけではないんですね。色々焼くのだそうです。
サツマイモや、バーベキュー風にお肉だったり、魚だったりを、屋外で炭火を使って焼いて食べる。
その中でも、なぜかトウモロコシがメインに取りざたされているのですが、
ざっと調べた限りでは、これはここ十年くらいに認知され始めた新しい習慣なのではないかと思います。
インターネット上でも、古いので2011年の記事に「大晦日の習慣、焼きトウモロコシ」というのがありました。
そしてこれを行っている地域は、まだジャカルタを中心とした都市部だけなのではないかと思われます。

大晦日にトウモロコシを焼くその理由については、
曰く、沢山の粒からなるトウモロコシは我々の持つあらゆる能力や可能性を表わし、
かつそれを見せびらかすことなく包み隠している謙虚さも示している(ので、それにあやかる?)とか、
年を新たにする際には、古い年の(自らの中の)悪しきもの(習慣や感情)を「焼き捨てる」必要があり、
それをふまえて、火を熾し色々焼くのだ、というのとか。

まあ、後付けの理由でしょうね。

インドネシアの年越しは友だちや家族と、家や、時には郊外に借りた一軒家などに集まり、
めいめい花火をあげたり、おもちゃのトランペットを吹き鳴らしたり、賑やかなものです。
そんな場で、花火を眺めながらみんなでお喋りしながら、なにをする?でバーベキューだったんではないかと。
もともと、炭火で何かを焼くのはインドネシアの調理法として一般的ですし、
ちょっとしたピクニック先などでトウモロコシを食べるのも、これまた一般的です。
親和性の高さ、ということではないかなと思っています。

ところで、トウモロコシ。
インドネシア国内で、トウモロコシの消費が盛んな地域と言えば、東ヌサトゥンガラ州です。


オレンジ色のあたり。
生産量としては決して多くはないのですが、
乾燥した気候と地質のこの地域に合致した作物として浸透しています。

鏡味治也編『民族大国インドネシア』(2012年木犀社刊)の中に、西ティモールについての記述があります。
(西ティモール=地図右下の半分色がついている島がティモール島、その東部は「東ティモール」として独立)
西ティモールの人口の半分を占めるアトニ・メトと呼ばれる民族において、彼らの用いる倫理規範は、
「慣習に従うこと」と「トウモロコシに従うこと」なのだというのです。
トウモロコシの扱いを誤ってはならない、一粒たりともムダにしてはならない、というのです。
文中から抜粋すると、
「普遍的な世界史にしたがえば、トウモロコシは十七世紀にオランダによって西ティモールにもたらされた。以後急速に普及し、島の農業と食生活を四半世紀の間に大きく変えていったとされる。しかし村人たちは、トウモロコシは、彼らの歴史の始まりにおいて、すでに祖先とともにあったものだと語る。祖先がトウモロコシを食料とする以前の時代が想像され語られることはまずなく、歴史の始まりから今日まで連綿と受け継がれてきたことが強調される」
とあります。かくも浸透しているトウモロコシ。非常に興味深いなと思いました。

とはいえ、アトニ・メトのこの事例はやや極端な例ではありますが、
この東ヌサトゥンガラ州での食生活におけるトウモロコシの存在感は、やはり西ジャワ州とは異なります。

市場 Timor_East Nusa Tenggara, 2018

乾物として売られている中に、挽き割りトウモロコシや、白い薄皮をむいたトウモロコシ。

挽き割りトウモロコシ Timor_East Nusa Tenggara, 2018

挽き割りトウモロコシはご飯に混ぜて炊くのだと言われました。

白い薄皮をむいたトウモロコシは、以前記事にしたジャグン・ボセをつくるためのトウモロコシ。
肉質が異なり、こちらはもっちりした粘度の高めのトウモロコシです。

剥きトウモロコシ Timor_East Nusa Tenggara, 2018

食事としてのトウモロコシの他に、おやつとしてのトウモロコシ。

トウモロコシのおやつ Bandung_West Java, 2018

揚げトウモロコシ/Jagung Goreng (Marningと言われることも)と、潰しトウモロコシ/Jagung Titi。

揚げトウモロコシは、一旦茹でてから干し、味付けをしてから改めて揚げたもの。ボリボリとした食感です。

揚げトウモロコシ Bandung_West Java, 2018

潰しトウモロコシ、もしくはジャグン・ティティ(ティティ/Titi=潰す)はもう少し保存食的な印象。

皮を剥き、乾煎りをしてから熱いうちに一粒ずつ潰していきます。
それを天日で干し、しっかり乾燥させることで日持ちさせるのだそうです。
そのまま食べたり、揚げてスナックにしたり、コーンフレーク様に朝ごはんにミルクをかけてもいいと言います。

ジャグン・ティティ Bandung_West Java, 2018

これはピーナッツも入っていますね。

ジャグン・ティティは、フローレス島の東部から以東の島々で特に好まれるそうです。
夕方、コーヒーを飲みつつジャグン・ティティをぽりぽり食べる、というのが定番なのだとか。
2018年6月まで二度に渡り任期を努めた東ヌサトゥンガラ州知事は、フローレスの東に位置するアドナラ島出身。
会談の場や、中央政府からの役人、大臣、はては大統領を迎えるような場でも、
常に「自分たちの原点として」ジャグン・ティティを忘れずに用意させたのだと聞きます。

このジャグン・ティティをカリっと揚げたスナックは、ウンピン・ジャグン/Emping Jagungと呼ばれ、
パリパリと香ばしいコーンスナックという感じで、手が止まらなくなります。

ウンピン・ジャグン Bandung_West Java, 2018

それからもうひとつ。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018

油と塩で乾かしたトウモロコシを炒って作る、あれ。

ポップコーン Bandung_West Java, 2018

ポップコーン。

ジャワでは、ポップコーンと言えば、映画館。もしくは袋入りのスナック菓子という感じですが、
東ヌサトゥンガラでは、もっと家庭的な立ち居位置。
島の漁村にお邪魔した時、そこの村長さんの奥さんがおやつに作って出してくれたりしました。

ここ西ジャワ州バンドンから少し行ったところに、野菜栽培が盛んな高原の町レンバンがあります。
そのレンバン産のトウモロコシがこの辺りではよく流通するのですが、
基本的にスイートコーン。中には、生で食べても十分甘くてジューシーという品種も。
トウモロコシを食べるシーンとしてはあくまで「ピクニック」で。
日常の中では、せいぜいがスープの具という程度でしょうか
甘さは抑えてもちっとした東のトウモロコシとは品種も、その立ち位置も異なります。

ということで、トウモロコシ徒然。

わたしは今朝のうちに買ってきていたのですが、昼前にうちに来たメイドさんからもまたごそっと。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018

例の、触れ込みにきていた農家から沢山買ったのだとお裾分けしてくれたのでした。

ということで、うちには今、十本のトウモロコシがありますよ。食べなくちゃ。

トウモロコシ Bandung_West Java, 2018

あちこちから上がる花火の音と、近所の子どもたちがならすトランペットの音を聞きながら、
今夜は焼きトウモロコシを食べるのです。

ということで、みなさま、よいお年を。




2018/12/23

茶/Teh

ジャワの茶葉 Bandung_West Java, 2018

ジャワティーってありますよね。あれは、本当にインドネシアのジャワ島産茶葉を使っています。
ちなみに、ジャワカレーはジャワ島とは関係ありません。

ということで、インドネシアのお茶について。

インドネシアのお茶の生産量は、2017年には157,388トンで世界第6位(日本は8位)。
そのうち約65%は、国外輸出用で、輸出される茶葉は主に紅茶。
インドネシア茶として流通するのではなく、輸出先でブレンドティーの材料とされる場合が多いそうです。

では、国内で消費されるのはどういうお茶なのか。

その前に、ざっとインドネシアでの茶葉生産の歴史を。

記録によると、インドネシアに初めて茶の木が持ち込まれたのは1684年。
ドイツ人が日本から種を持ち込み、バタビア(現ジャカルタ)で庭木として植えたと言われています。
それ以降、茶の木はしばらく庭木としてのみ植えられ、茶葉栽培として植えられたのは、
1827年に西ジャワのガルット/Garutで、オランダ東インド会社が量産を目的とした茶畑を開いたのが始まり。
同年、西ジャワのプルワカルタ/Purwakartaと東ジャワのバニュワンギ/Banyuwangiでも茶畑がスタート、
翌年より茶葉生産を開始し、アムステルダムの記録に初めて「ジャワティー」の文字が記されたのは1835年。
1877年にはアッサム種をセイロンから導入し、茶葉のプランテーションは一層拡大していくことになります。
1910年にはジャワ島外初のプランテーションが北スマトラにでき、
1941年、インドネシアの茶葉生産量は世界第3位となりました。
しかし、日本占領下にその生産量は低下。1950年以降、徐々に回復していって現在に至ります。

茶の木の栽培に適した土地は、火山性で水はけの良い土壌。
国内の産地はジャワ島とスマトラ島にほぼ限定され、現在は西ジャワ州が圧倒的な生産量を誇っています。
続いてスマトラ北部、東ジャワ、中部ジャワと西スマトラはほぼ同量、という感じです。

で、インドネシア国内で消費されているお茶の話しです。

ジャワのジャスミン茶 Bandung_West Java, 2018

生産量に対し国内消費量はぐっと下がるインドネシアですが、それでも人々の暮らしの中に浸透しているお茶。
インドネシア、特にジャワで好まれるお茶は、ジャスミン茶なのです。
インドネシア語では、テー・ムラティ/Teh Melatiと言います。ムラティがジャスミンです。
地域差はありますが、家庭で淹れるお茶も、ボトルなど売られているお茶飲料もジャスミンのものが人気。

なぜか。

この茶葉生産の歴史にその理由があります。

最初から、インドネシアでの茶葉生産は輸出のためのものでした。
今でも65%と言われていますが、ましてやオランダの植民地支配下のプランテーション時代。
グレードの高い茶葉は全て輸出にあてられ、土地の人々が口にすることが出来たのは低グレードの茶葉のみ。
枝なども混ざり込んだ茶葉に、本来のティーの香りや風味は望むべくもなく。
そこで風味足しとして使われ始めたのがジャスミン。そのジャスミン茶が広く庶民に浸透して行きました。

1910年代、日本統治下の台湾からジャスミン茶がジャワに輸入されていた記録があります。
(包種茶という香りのいいお茶、という説も)
これによってジャスミン茶が庶民に広がったという記述を目にしたのですが、それはちょっと疑問。
同じ頃、中部ジャワ北岸のスマラン/Semarangに、ビジネスで成功を収めた福建出身の華人がいました。
彼の主力商品がジャワの砂糖と台湾茶で、それらをオランダ東インド会社へ販売していたのだそう。
なので、輸入した茶葉はそのままオランダに流れたと見るのが妥当ではないかなと思っています。
当時の庶民に輸入茶を飲む財力があったのか、
また閉鎖的な華人社会で消費されるお茶がそんなに簡単に庶民に広がるのか、という気がします。

ジャワのお茶 Bandung_West Java, 2018

この、紙に包まれたお茶たち、みんなジャワ産のジャスミン茶です。
各家庭ごとに好みのブランドがあるんだろうなと思います。
クラシックな絵柄が魅力ですね。
なんでお茶なのに、釘抜き印とか、サッカー印とか、ほうきがけ印とかなのか、想像が広がって楽しいです。

ジャスミン茶 Bandung_West Java, 2018

茶葉はこんな具合。
葉の色など微差はあるものの、いずれも不揃いでざっくりとした茶葉。かなり太い枝も入っています。

そしてお茶の色。

ジャスミン茶 Bandung_West Java, 2018

いわゆる、紅茶の色。

ですが、緑茶/Green Tea/Teh Hijauベースなのです、ジャスミン茶は。
インドネシアで主流の緑茶の製法は、日本より中国の製法に近いのですが、それにしても茶色すぎます。
その理由はプロセスに。

ジャスミン茶に加工されるのは、水分量が最高で10%までの緑茶葉。
その茶葉を、まずは150−170度の高温ドライヤーで1−2時間かけて乾かします。
インドネシアでは「焦がし」と呼ばれるこのプロセスにより、ジャスミンの香りが吸収されやすくなるのだそう。
その上で、改めて茶葉を水で湿らせ、水分量30−35%とします。葉が開いて香りが入りやすくなります。
そこにジャスミンの花を混ぜ、香りを移します。
ジャスミンの花は、蕾の状態で朝摘みし、花が開いて強く香る夜に茶葉と混ぜる行程を行います。
香りが十分移ったら、花を取り除きます。
とはいえ、きちんと花で香りづけをした証として、意図的に取り除かずに残す場合もあるようです。
そして、最後に100−110度ほどのドライヤーで、水分量4%程まで乾かして、完成。

通常の緑茶のプロセスは、生の葉を加熱→揉んで→乾燥です。紅茶は、生の葉をまず発酵→揉んで→乾燥。
このジャスミン茶のプロセスには発酵はないので、紅茶ではありません。
途中の「焦がし」と呼ばれている過程を考えると、
この茶色は、日本茶で言うところの焙じ茶と同じ茶色と言えるのかもしれません。

ちなみに、友人にもらった台湾の茉莉花茶。

台湾茉莉花茶 Bandung_West Java, 2018

台湾の茉莉花茶製造工程でも、香りを移す前の乾燥プロセスはあるらしいのですが(湿らせはしないよう)、
茶色くないですねえ。……まあ、別物ということで(笑)。

台湾茉莉花茶 Bandung_West Java, 2018

まるで口の中で花が開いたかのような、まったく素晴らしくジャスミンなお茶でした。ごちそうさま。

さて、インドネシアのジャスミン茶の、そのお味は。

ジャスミン茶 Bandung_West Java, 2018

台湾茉莉花茶に比べると、かなり、だいぶ、ワイルドフラワーな感じの味ではあります。
雑味が多いのですが、中でも強く感じられるのが「渋味」。
こわそうな茶葉な上に無骨な枝入りですので(包装を突き破っているときもあります)、渋いのも納得。
ですが、この渋さが今では逆に「ジャスミン茶の味」として定着したという向きもあります。

中部ジャワ北岸の街、テガル/Tegalは、ジャスミン茶のメーカーが集まる街でもあります。

テガルから東に行ったプカロンガン/Pekalonganが、加工用のジャスミンの産地であることからも、
インドネシアの中でも、この地域の人々は、とりわけジャスミン茶を好むと言われています。
そして、テガル周辺で見られる喫茶習慣が「モチ/Moci」と呼ばれるもの。

モチのセット Bandung_West Java, 2018

モチとは、ティーポットを意味するポチ/Pociに由来し、Pociを動詞化したMemociを短縮したもの。
「お茶する」みたいなものでしょうかね。

モチでは素焼きのポットでジャスミン茶を淹れ、同じく素焼きのカップでいただきます。
この地域でお茶とは「熱く、香りよく、甘く、濃く」と言われるのだそうです。
抽出時間30秒でも渋みが出てくるテガルのジャスミン茶ですが、
それをこのティーポットに入れたまま、ちびちびと飲んでいくわけです。
当然かなりの濃さと、かなりの渋みですが、それが「茶の味」となるのだそう。

だからこそ、しっかりと甘さをつけます。

氷砂糖 Bandung_West Java, 2018

モチの甘味は、氷砂糖。これは、決まり事です。
この氷砂糖をカップに入れて、お茶を注いでいただくのですが、混ぜてはいけないという説があります。
「最初は苦く、やがて甘く。まるで人生を表わすようなお茶の味を味わうのだ」とか。
まあ、飲んでる人を見てみると、みんな普通にくるくる混ぜて最初から「人生の甘さ」を堪能していますが。

このモチの習慣と茶葉メーカーは、当然切っても切れない関係。
ティーポットには茶葉ブランド名が入っているのがお約束です。

社名入りポット Bandung_West Java, 2018

このモチに限らず、中部ジャワでお茶というと、とにかく甘いものです。
東ジャワも同様かもしれません。
お茶そのものまでもがとろりとして感じられるほどに、砂糖を沢山いれたものがジャワのお茶。
全国で市販されているお茶飲料もかなり甘めの味なので、
「インドネシアのお茶は甘い」と言われる方もよくいらっしゃるのですが、実はそうとも言い切れません。
同じジャワ島でも、西ジャワでは砂糖を入れないストレートティーもまた好まれるからです。

またオランダ東インド会社に話しが戻るのですが、
中部〜東ジャワは砂糖プランテーションが広く展開された土地で、砂糖と庶民は比較的近かったのに対し、
砂糖プランテーションはほとんどなく、また中/東ジャワからの砂糖の輸入も制限されていた西ジャワでは、
庶民にとって砂糖とは、あくまでも高級品でそんなに日常使いできるものではなかったからだと言われています。
そのため、西ジャワ地方ではお茶はストレート(甘いのも飲みますが、もちろん)。

ただその分(かどうかわかりませんが)、西ジャワ地方の食堂ではご自由にどうぞとお茶がおいてあります。

屋台のお茶 Bandung_West Java, 2018

道ばたの屋台ですら、コップにお茶を入れて出してくれます。
この習慣ゆえ、ボトル入りのお茶を生産している大手お茶メーカーがノンシュガーティーを発売した際に、
「西ジャワじゃ売れないよ、ノンシュガーのお茶はタダなんだから」と言う声が聞かれたほど。
ただ、こうして出されるお茶は、ごくごく薄く、お茶としてというよりは、
湯冷ましを出すのに「ちゃんと沸かした」印として茶葉で色を付けているのではないかと思っています。

さて、ささっと、ジャスミン茶以外のお茶について。

まずは、紅茶/Black Tea/Teh Hitam。

ジャワ紅茶 Bandung_West Java, 2018

西ジャワのボゴール/Bogorでつくられているワリニ/Waliniと、
中部ジャワのウォノソボ/Wonosoboでつくられているタンビ/Tambi茶。ジャワティー組です。

ワリニは最近ティーバッグのものしか見かけなくなりましたが、わが家の定番です。
茶葉はタンビ茶。右は友人が分けてくれたタンビの茎茶で、ちょっと珍しいもの。通常は左側。
パッケージに「ペコ・スーチョン」と書かれているので、茶葉の等級から言えば4番目ですかね。
それを細かく切断したものです。
ワリニは香りはそれほど強くないですが、紅茶らしい味わい。
タンビはかなりすっきりとした味わい(茎茶は更に)で、食事の時にがぶがぶ飲めるタイプのお茶です。

国内の茶葉の流通はかなりドメスティックで、ジャワでジャワ島外の茶葉をみることはあまりないのですが、
こちら、スマトラとバリのお茶。

スマトラ&バリ茶 Bandung_West Java, 2018

良質な茶葉として知られるカユ・アロ/Kayu Aroは、スマトラ西部のクリンチ/Kerinci地方産。
イギリスのエリザベス女王のお褒めに授かったことがある茶葉だとか、なんとか。
なお西スマトラではタルア/Taluaというお茶の飲み方があるそうです。
白っぽくなるまで泡立てた卵黄に砂糖を加え、沸かした紅茶を注ぎ、練乳とライムで味を整えるというもの。
試したことがないので、味の想像がつき難いです。

カユ・アロ茶葉 Bandung_West Java, 2018

カユ・アロもタンビに似た茶葉で、茎状の部分が目立ちます。
枝も葉も、ジャスミン茶に使われているのと変わらないのではないかと思うのですが、
このカユ・アロはほとんど渋みを感じさせない、明るい香味のお茶です。

北スマトラにも有名な茶葉があるのですが、国内にはほとんど流通していない様子。
パッケージに大きく「スマトラ」とあるお茶はメダンの会社が製造元なので、
恐らく茶葉自体は、北スマトラの茶葉ではないかと思います。
このスマトラ茶は、ちょっとスモーキーな味わい。
北スマトラはマレーシアに似て、練乳を加えて甘くして飲む飲み方も人気らしく、
たしかにそういう飲み方に合いそうな味です。

それからバリ茶。これは、初めて見ました。
バリというとコーヒーが主力で、茶葉はほとんど耳にすることはありませんでしたが、
近年いくつかの茶園がバリのお茶を製品化しているようです。
このブランドのは……ちょっと、苦手な味。スモーキーなバニラというか、香料なのかな?

国内で消費される茶葉は基本的にジャスミン茶と紅茶ですが、
近年、その他の茶葉も一部で生産されるようになってきました。

ジャワ産中国茶 Bandung_West Java, 2018

台湾や日本で技術を学び、それを反映させて製造された、
高級ラインの国内ブランドが出す緑茶や烏龍茶。白茶(シルバーニードル)は西ジャワの茶園から。
他に煎茶などもあり、それはヨーロッパ方面へ輸出もされているのだそうです。

その白茶の製造も行っていた茶畑が、西ジャワ州のレンバン/Lembangの茶畑。

茶畑 Lembang_West Java, 2016

工場も見学させてもらえたりします。

茶葉工場 Lembang_West Java, 2016

茶葉工場 Lembang_West Java, 2016

茶葉工場 Lembang_West Java, 2016

ここでも、輸出がメインらしいです。

工場の外側には大量の薪が。

茶葉工場 Lembang_West Java, 2016

茶葉の乾燥などに使う燃料で、ゴムの木が火脚が長く火力も強いのでいいのだそうです。

ということで、ざっとインドネシアのお茶事情でした。

ボトル入りや、インスタント、またはフレーバーティー、そして「お茶の木」ではない葉を使ったお茶など、
キリがないので、今回は茶葉について。他のものは、またいずれ、追々で。

ジャワの茶葉 Bandung_West Java, 2018

決して、ハイグレードのお茶ではない、インドネシアのお茶たちですが、
渋い渋いジャワのジャスミン茶も、飲み終わると不思議と爽やかさが残ったりします。
そしてなにより、インドネシアのごはんには、やっぱりインドネシアのお茶が合うのです。



2018/06/13

レバランの食卓

オポール・アヤムとクトゥパット Bandung_West Java, 2018

今年も、イスラム教の断食月(ラマダン)となり、明日の日没をもって終了となるのですが、
今週に入ってからはラマダン明けの大祭(レバラン)に向けて、人々の帰省が始まり、
家族が集うお祝いの食事の準備をと、市場は一年で最も賑わう(そして高値な)季節です。

ラマダン時期のスイーツについては、以前記事にしたことがありますが、
今回は、レバランの食卓に欠かせない料理について、ご紹介します。

レバランを控えた時期、特にジャワ島の市場のあちこちで売られ始めるものと言えば。

クトゥパット Bandung_West Java, 2018

椰子の若葉を編んだこの四角いもの。
クトゥパット/Ketupat の「ガワ」です。

クトゥパット Bandung_West Java, 2018

10個ひと束にして、せっせと編みながら売りさばいて行くおじさんたち。
これが「レバランのもう前日!」とかになると、調理済みのクトゥパットも売られ始めます。

クトゥパット売り Bandung_West Java, 2017

クトゥパットとは、ライスケーキ。
若い椰子の葉で編んだ中にお米を入れて茹で上げ、中で密に詰まった状態に仕上げます。
これが、ジャワを中心としたインドネシアのレバランには欠かせないのです。

とは言え、クトゥパット自体は、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、フィリピンといった、
東南アジア島嶼部で、広く日常的に食べられているもの。
恐らくは、その保存性の高さから、海洋民たちの航海中の食品として広まったのではないかと思われます。
インドネシアにもイスラム教が普及するより以前からあったと言われていますし、
ヒンドゥー教徒がそのほとんどをしめるバリ島でも、日常的に、そして儀式の際にと食べられています。
ここジャワ島でももちろん、レバランに限らず日々食べられていますし、
南カリマンタンのバンジャルマシンでは、ジャワ以上に、日常生活に切り離せない浸透具合です。

クトゥパット売り Banjarmasin_South Kalimantan, 2016

2年前に訪れた時に、あまりのクトゥパットぶりにびっくりしたくらいです。
レバランもなにも関係ないタイミングでこの並びっぷり。

クトゥパット売り Banjarmasin_South Kalimantan, 2016

あ、うっかり話しがそれました。

バンジャルマシンについてはまたいずれということで、
改めて、どうしてクトゥパットが、ことのほかレバランに欠かせないものとなったのか。

15世紀頃のジャワの王族がその発端のようです。
ジャワにおけるイスラム普及に大きく貢献したと言われている、当時のジャワの王カリジャガが、
ジャワの思想にイスラム習慣である断食をリンクさせて、
クトゥパットをレバランの「贖罪と赦し」の象徴として、人々に広めていったのだと言われています。

クトゥパット Bandung_West Java, 2018

クトゥパットの、その編み目の複雑さは、人類が犯すあらゆる過ちを表わし、
割った中の白さは、その罪を赦す心の清らかさを表わす、という解釈なのだそう。

ここでいきなり過ちだったり赦しが出てくるのは、
イスラムにおいてこの断食月というのが、贖罪の月であり、そしてそれを赦す聖なる月だからなんですね。
インドネシアのムスリムたちの間でも、ラマダンを終えてレバランを迎える際の挨拶は、
それまで自分が犯したであろう過ちに対する謝罪の言葉なのです。

当時ジャワでは、そのレバランの象徴としてのクトゥパットを、一族の年長者のところへ配り届け、
それによって、親族のつながりという象徴性もまた込められていたのだと言います。

こうして「象徴としてのクトゥパット」の解釈が浸透し、今ではなくてはならないものになったわけですね。

一方で、日本のおせち料理同様、しばらく料理をしないために、というのもあると思うんですけどね。
お店も市場も閉まってしまい、そして、家族を始めたくさんの来客のあるレバランの数日間。
日持ちするクトゥパットと、同じく日持ちのする肉料理などを準備しておくのが習わしになったのではないかと。

ということで。

今年、わたしは初めて、クトゥパットを作ってみました。
編むのは(なんてたってあらゆる過ちの象徴ですから)複雑なので、10個おじさんから買ってきて。

クトゥパット Bandung_West Java, 2018

お米を詰めるわけですが、どのお米がいいのかも、市場のお米屋さんのアドバイスに従いました。
(初心者ですからね、なにがどう違うのか分かりません)

市場の米屋 Bandung_West Java, 2018

沢山並んだお米たちの中で「クトゥパット用」というのを売ってもらって。
ふくらみ方が違うんだと、お兄さんは言います。

そのお米をきれいにといで、ガワに詰めていきます。

お米をとぐ、というのに対して、うちのメイドさんは「日持ちさせないといけないでしょ」と言いました。
きれいに洗うことで保ちがよくなる、ということなのかな。
ちょっとわたしにはなかった発想で、「ほう」となりました。

お米は、この小さな隙間から入れていきます。

クトゥパット Bandung_West Java, 2018

お米屋のお兄さんは「半分よりちょっと少なめ、40%くらい入れること」と言いました。
でも、メイドさんからは「少なすぎても美味しくないでしょ、ほら、これ足りない」とチェックが。
間を取って、半分くらいを目処に、お米を入れていきます。

クトゥパット Bandung_West Java, 2018

お米を入れ終わったら、5つずつしばって、さあ、茹でましょう。

普通に茹でたら4時間くらいかかるのが、クトゥパット。ここは圧力鍋で。
加圧し始めてからだいたい40分ほどで、その後自然冷却、で出来上がり。簡単!

で、茹で上がったら軒先(でなくてもいいんだけど)に吊るして保存します。

クトゥパット Bandung_West Java, 2018

水に浸かっている状態は腐りやすいので、きちんと風を通して水気を切ることが目的かな。

ふっふっふ。
出来ちゃった、クトゥパット。

クトゥパット Bandung_West Java, 2018

メイドさんには「まだつぶつぶしてない?」と言われ、そう言われてみれば…とも思いましたが、
「もう待てない」と言って、これでいいことにします(だって、初めてなんですから)。

さて、クトゥパットだけでは、味のないライスケーキですので、一緒に食べるものが必要です。
レバランのクトゥパットと一緒にいただく定番と言えば、オポール・アヤム/Opor Ayam。
チキンのココナッツミルク煮込みです。
こちらも、これまでは外で食べるものだと思ってきたので、初めて作ります。

師匠としてのうちのメイドさん(生粋のスンダ人、レバラン歴50数年)の作り方に従って。
それぞれスパイスなどの詳細については、以前の記事をご参考くださいね。

鶏肉 約1キロ
キャンドルナッツ 5粒
コリアンダーシード 大さじ1半
粒白胡椒 小さじ1
クミン 小さじ1
カルダモン 2粒
シャロット(大) 2個
ニンニク 3片
レモングラス 2本
ガランガル 約5cm
生姜 約3cm
サラムリーフ 3枚
コブミカンの葉 3枚
削りココナッツ 1玉分
水、油、砂糖、塩、適量

オポール・アヤム(材料) Bandung_West Java, 2018

だいたいです、分量は。
シャロットは、手元にあったのが結構大きなものだったので2つですが、
普通のサイズなら4〜5個くらいじゃないかなと思います。

鶏肉は、1羽で十分なのですが、煮込みでは鶏モモが好きなので、モモだけ買ってきました。

鶏肉 Bandung_West Java, 2018

洗って、適当な大きさに切り分け、血などをきれいにしておきます。

そして、ココナッツ。

ココナッツミルクをとるのに、完熟か半熟かというのがいつもよく分からないのですが、
(熟れ具合で違うらしいのです)
ここは、ココナッツ屋さんの指示に従います。

ココナッツ売り Bandung_West Java, 2018

おじさん曰く、外皮(茶色の部分)をきれいに削ってしまうと、ココナッツミルクの風味は劣るのだとか。
なので、虎柄程度に削ってから、細かくクラッシュしてもらいます。

で、そこに水を加え、ココナッツミルクを揉み出す。

ココナッツミルク Bandung_West Java, 2018

メイドさん曰く、ぬるま湯で揉むとよく出る。のだそう。
ココナッツミルクというのは油分でもあるので、温度が低すぎるとあまり出ない、というのです。
なるほど。

ココナッツミルクは、一番搾りと二番搾りをとります。
一番搾りは香りと風味、二番搾りは肉類を柔らかく仕上げる効果を狙っていると解釈しています。
なので、使用順序は二番搾り→一番搾り。
1玉分に、一番搾りはだいたい700mlほどのぬるま湯、二番搾りで1L弱、くらいでしょうかね。

では、調理開始。

まず、キャンドルナッツを揚げます。
これ、今まで知らなかったんですよ、揚げるなんて。
臭みをとるのと、保ちを良くするため、なのだそうですよ。

で、コリアンダーシード、白粒胡椒、クミンを乾煎りし、キャンドルナッツと併せて潰します。
そこに、シャロットとニンニクも加え、さらに潰す。とてもいい香りのブンブになります。

ブンブ Bandung_West Java, 2018

「もっとなめらかに!」と言われそうですが、まあいいでしょう。

鍋に油適量を熱し、この潰したブンブを炒めます。
香りが立ってきたら(いっそううっとりするいい香り)、鶏肉を入れて焼き色をつけ、
二番搾りのココナッツミルクと、レモングラス、生姜、ガランガル(いずれも叩いておく)と、
サラムリーフ、コブミカンの葉(切り目を入れる)、カルダモン(殻を開く)を加えて煮立てます。

鶏が柔らかくなった頃合いで、一番搾りのココナッツミルクを加え、砂糖と塩で味を整えて出来上がり。

オポール・アヤム Bandung_West Java, 2018

ゆで玉子も入れてしまいます。
味をみたメイドさんには「上出来!」と褒められました。ふふふ。

たっぷり揚げシャロットを振って、
アチャール/Acarと呼ばれる、キュウリやシャロット、青唐辛子の酢漬けを添え、
サンバル(唐辛子やトマトのペースト)も忘れずに。

オポール・アヤムとクトゥパット Bandung_West Java, 2018

まあ、レバランでなくてもオポールもクトゥパットも食べられていますし、
そもそもわが家はムスリムではないので、レバランを祝う習慣もないのですが、
こういう季節モノ(?)は、ちょっと気分があがりますね。

ちなみに、本物(!)のムスリム家庭でのレバランの食卓はこれの比ではなく、
各家庭の奥さんたちが腕によりをかけて作った(断食しながら!)料理たちがどどどーんと並びます。
みんな晴れやかな表情で明るいうちから食卓を囲むあの雰囲気、便乗させてもらうと幸せな気持になります。